<皇孫系氏族>孝元天皇後裔

AB01:阿倍阿加古  阿倍阿加古 ― 金 為勝 AB07:金 為勝

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金 為勝 金 為時
 安倍倉橋麻呂を遠祖とし、その後裔で貞観元年(859年)に初代気仙郡司として下向し、貞観13年(871年)に郡内の金山から産出の金を朝廷に献上したことにより金姓を賜った。  前九年の合戦の際、朝廷軍陸奥守・源頼義の部下として活躍した。また、奥州安倍氏軍にも、安倍貞任,安倍宗任の一族であった金師道,金依方がいた。ほか、帰降者にも金為行,金則行,金経永がいた。気仙郡は多賀国府の直轄郡であり、金氏は陸奥守・源頼義の命に従う義務があったが、金為行は安倍貞任の舅だったため、金氏一族は双方の陣営に分裂せざるを得なかったといわれる。 
金 為俊 高目時弘
 平泉藤原氏滅亡後、山中に蟄居していたが、大河兼任謀叛のときに出でて、追撃軍に参加して、建久3年(1192年)に祖業の気仙郡司に補任せられ、系邑三千余町を給せられた。

 時弘の代に葛西朝信に臣従、気仙郡浜田の中山館に居住、五百町余を領した。その跡は時尚ー尚義と継いだが、尚義には嗣子がなく、分家の立根川原館主・金野時清の長男・為勝が継いだ。時清は葛西氏滅亡後、桃生郡の深谷で討死した。為勝と弟の時雄は、慶長5年(1600年)7月の刈田白石の陣に気仙三十六騎の士に選ばれて参陣、戦功をたてたと伝えている。
 その後、為勝は中山館の地に、時雄は舞良に居を移してそれぞれ帰農した。