<藤原氏>北家 真夏流

F364:佛光寺真仏  本願寺範宴 ― (直弟)佛光寺真仏 ― 興正寺経豪 F365:興正寺経豪

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興正寺経豪

 浄土真宗の興正寺第14世。初名は経豪。号は花恩院。諡号は願乗院。甘露寺親長の猶子。
 妙法院の教覚に師事して文明元年(1469年)に叔父の光教から佛光寺を継ぐものの、文明14年(1482年)頃、真宗佛光寺派の内紛から佛光寺を弟の経誉に譲り、本願寺第8世法主・蓮如の長男の順如の仲介で本願寺に帰参した。その際に「経豪」から「蓮敎」と名を与えられ改名する。
 蓮如の孫にあたる恵光尼(順如の妹・如慶と常楽寺住持・蓮覚の子)を妻とし、山科興正寺を興隆してその基礎を築いた。
 興正寺は、本願寺派となったわけではなく、独立した宗派として存在したが、本願寺と興正寺の団結は後世長く続き、石山合戦の際も本願寺とともに信長と戦い、度重なる本願寺の移転の際には、行動を共にしている。興正寺の再建や、経豪と恵光尼の結婚を考えたのが、順如上人であったといわれている。