<藤原氏>北家 良門流

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藤原雅正 藤原為頼

 刑部大輔や豊前守,周防守などの受領を歴任したが、位階は従五位下に留まった。村上朝の応和元年(961年)周防守在任中に頓死したとされる。
 父・兼輔とともに紀貫之との親交で知られているほか、伊勢・大輔とも交流があった。『後撰和歌集』に和歌作品が7首採録されているほか、藤原基俊撰集の『新撰朗詠集』にも採録されている。

 安和2年(969年)春宮少進に任ぜられ、のち春宮権大進として皇太子・師貞親王に仕える一方、安芸権守,丹波守と地方官を兼ねる。またこの間、順調に昇叙され、永観2年(984年)師貞親王が即位(花山天皇)すると、急速に昇進する。しかし、同年6月に発生した寛和の変により花山天皇が退位・出家すると、以降の昇進は停滞した。長徳2年(996年)太皇太后宮大進に任ぜられ、太皇太后・昌子内親王に仕える。
 勅撰歌人として『拾遺和歌集』(5首)以下の勅撰和歌集に11首が入集。家集『為頼集』がある。