儀俄氏は、室町時代には近江守護・六角氏の被官で、長享元年(1487年)には鈎の陣では戦功をたて、甲賀53家(甲賀忍者)に数えられている。 永禄11年(1568年)、儀俄氏の主家・観音寺城を織田信長に攻められ、六角義賢・義弼父子は敗れて六角氏は滅亡するが、蒲生氏は信長に通じていたため、儀俄氏も本領安堵された。しかし、天正13年(1585年)に甲賀破儀のため城は破却、領地没収となり儀俄氏は滅亡した。