| G320:大島義継 | 源 経基 ― 源 頼信 ― 源 義国 ― 里見義俊 ― 大島義継 ― 大岡重辰 | G321:大岡重辰 | ● |

| リンク |
| 大岡経重 | 大岡清勝 |
|---|---|
|
越後大岡氏の祖となる。経重は父と兄の経景とともに、惣領家の新田義貞に従って、転戦した。 |
清勝は遠縁筋の徳川家康に仕えて、元亀3年(1573年)の三方ヶ原の戦いで本多忠勝の与力として参戦した。翌元亀4年(1574年)に、同姓であるが血縁関係が皆無な大岡忠賀(大賀弥四郎)の謀反の鎮圧の際に大久保忠世に従って、米河内城攻めで忠賀の同志である倉地平左衛門を討ち取る戦功を立てた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いと慶長19年(1614年)の大坂の陣にも参戦して功績を立てた。そのために子の清政は徳川秀忠によって、直参旗本に採り立てられた。 |
| 大岡清重 | 大岡清相 |
| 江戸時代に徒歩組頭となり、延宝8年(1680年)3月25日に勘定奉行となる。清重は幕命により、天和3年(1683年)に、稲葉正休,彦坂重紹らとともに畿内治水の再点検を行った。貞享4年(1687年)9月10日に清重は勘定奉行を辞任した。 |
清重の甥の清相も元禄7年(1694年)に亡き父の清純から家督を継いで、小普請,御書院番,御使番,御目付などを歴任した。宝永6年(1709年)10月15日に江戸城西ノ丸御留守居となり、同年に備前守に任命された。 正徳元年(1711年)4月に長崎奉行に任じられた。 |