宇多源氏

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加地春綱 加地秀綱

 上杉二十五将の一人。加地氏は揚北衆佐々木党で代々越後加地荘を支配していた。
 上条の乱が勃発すると、これに呼応し本庄房長,鮎川清長,水原政家,黒川清実,中条藤資,五十公野景家,新発田綱貞,竹俣昌綱らと共に上条定憲に従い、守護代・長尾為景に背いた。窮した為景は春綱に娘を嫁がせることで講和し、為景死後はその子・景虎に仕え重く用いられた。永禄7年(1564年)には飯山城を任されている。
 七手組大将の一人として、柿崎景家,新発田長敦,竹俣清綱,本庄繁長,色部勝長,中条藤資らと並び称された武将であった。

 母は上杉謙信の姉なので、謙信の甥、上杉景勝の従兄弟にあたる。上杉謙信の姉の子で、謙信に従ってたびたび川中島の戦いに出陣して大功をたてた。謙信死後に起こった御館の乱では、上杉景虎についた。しかし、上杉景勝方の五十公野治長(後の新発田重家)と五十公野信宗に居城の加地城を急襲されて一旦は降伏した。
 天正9年(1581年)、新発田重家の乱が起こると、これに加担してまたしても景勝に対抗した。景勝は新発田城攻撃に先立ち、天正15年(1587年)9月7日に加地城を攻め落とし、秀綱は戦死した。