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| 馬籠行胤 | 馬籠重長 |
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建武3年(1356)、行胤は葛西高清に突如、遠野城を攻撃される。迎え撃つ行胤の兵力は五百騎。このとき、妹婿の熊谷直光は一族郎党一千騎を引きつれて馬籠氏の援軍に向かった。しかし、葛西軍の猛攻の前に行胤をはじめ、弟の掃部丞胤久,右兵衛尉行範,子の帯刀行重,小五郎慶次が討死にした。しかし、遠野城は陥落しなかったため、葛西軍は矛先を熊谷一族へと向けた。 |
重胤のあとは弟の重長が馬籠氏の惣領になっており、おそらく重胤は罪を得て歌津村に所替えされたと思われる。ところが重胤は豪の者で、後日、歌津の隣国の元良大膳大夫と摩擦を生じ、天正14年(1586)4月には合戦に及び、元良方の大将・黒崎兵部を討ち取っている。 |