| TJ02:多治武綱 | 継体天皇 ―(宣化天皇)― 多治比 嶋 ― 丹治武綱 ― 中山家勝 | TJ09:中山家勝 | ● |


| リンク | {G508}{TB41}{TJ08} |
| 中山家勝 | 中山照守 |
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| 高麗五郎経家が武蔵国高麗郡加治郷に定着したことから当初は加治氏を名乗った。その13代目の家勝が同郷の中山村に移住したため、以後は中山氏を称した。中山家勝は武蔵七党丹党の一族(加治氏)として武蔵を基盤に活動し、山内上杉家に仕えた。ついで後北条氏の北条氏康に仕え、主君・氏照の元で勇戦し、その武名は関東一円に轟いた。 |
江戸幕府旗本寄合。初め父・家範とともに北条氏照に仕えた。天正18年(1590年)、小田原征伐における八王子城の戦いで父は討ち死にしたため、照守は武蔵加治に潜伏していたが、同年8月、父の最期に感銘した徳川家康に弟・信吉とともに召抱えられ、300石を与えられて徳川秀忠の使番に任じられる。 |
| 中山直守 | 中山直房 |
| 父・直定の代に武蔵・上総・下総の三国に3000石得て、直守の代に1000石加増された。正保2年(1645年)、先手組弓頭であった父・直定が没し、13歳でその遺跡を継ぐ。小姓組番士,徒頭を歴任し、寛文3年(1663年)に先手組鉄砲組頭に任じられる。天和2年(1682年)、500石を加増される(のちに4000石を知行)。家譜によれば、天和3年(1683年)1月23日より、直守は幕府から盗賊追捕の役(盗賊改)に転じられ、「鬼勘解由」とあだ名されて恐れられたという。また同日、息子の直房は、火付人を召し取る役(のちの火付改)に任ぜられた。その後、直房が直守の遺跡を継ぎ、また勘解由と称したことから、「鬼勘解由」は直房との説もある。貞享元年(1684年)12月3日、直守は兼務していた先手組頭から大目付となり、同年12月26日に従五位下・丹後守に叙任。貞享3年9月(1686年)に大小神祇組を取り締まった。翌貞享4年(1687年)7月2日に没。享年55。 | 長じて4代将軍・徳川家綱および5代将軍・徳川綱吉に仕える。家譜によれば、綱吉の代、天和3年1月23日(1683年2月23日)より、幕府より火附人を召し取る役(のちの火附改)に任ぜられる。同日、父・直守は幕府から盗賊追捕の役を任ぜられた(のちの盗賊改)。天和3年3月2日(1683年2月23日)、「賊徒多捕らへし」を賞せられて、黄金5枚を賜う。「鬼勘解由」とあだ名され、恐れられた。「鬼勘解由」は直守との説もある。元禄6年5月10日(1693年6月13日)、使番を兼任。同年12月18日、布衣着用を許される。元禄2年(1689年)に本所二ツ目に屋敷を拝領し、吉良邸討ち入り事件のときもそこに住んでいた。火事を装っての討ち入りであったが、鬼勘解由とあだ名された中山の屋敷が近所にあったため野次馬も出なかったとされる。元禄16年(1703年)、従兄弟の黒田直邦が常陸下館に大名として封ぜられたとき、現地にて城引渡し役を勤める。宝永元年8月11日(1704年9月9日)、先手組鉄砲頭に就任し、宝永3年4月29日(1706年6月9日)、没。享年50。 |
| 中山信吉 | 中山信政 |
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天正18年(1590年)、小田原征伐における八王子城攻防戦で家範は討死するが、戦後、兄・照守とともに徳川家康に召し抱えられ、信吉は小姓役(1500石)として仕えた。父子ともに八條流馬術の名手。 |
文禄元年(1592年)、水戸徳川家家臣だった父・信吉の嫡子として生まれる。大膳を称し、慶長14年(1609年)、16歳で徳川秀忠に仕え、小姓組に属し500俵を与えられる。大坂の陣には冬・夏ともに参戦した。寛永3年、徳川家光の上洛にも幕臣として供奉した。寛永5年(1628年)11月、父の主君である水戸藩主・徳川頼房に仕え家老となり、寛永11年(1634年)7月22日、従五位下・東市正に叙任。寛永19年(1642年)の父の死で家督を相続した。2月には頼房の子松平頼重が分家を設立した際に、讃岐国高松城を受領するために派遣された。 |
| 中山信敬 | 中山信徴 |
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明和8年(1771年)、8歳のときに先代・中山政信の臨終の席でその娘を迎え、婿養子となって中山家の家督を相続した。安永8年(1779年)12月16日、備前守に叙任する。その後、年月不詳ながら、備中守に遷任する。文政2年(1819年)、病気(中風)をきっかけに家督を3男の信情に譲って隠居することを命じられ、藩政を退く。一貫斎と号したが、翌年没した。墓所は埼玉県飯能市の智観寺。 |
弘化3年(1846年)4月10日、江戸で生まれる。幼名は弓次郎。文久元年(1861年)1月3日に18歳で早世した兄・信宝の跡を受け、16歳で家督を継いで当主となり、附家老として混乱した水戸藩政を支えた。同年12月16日、従五位下備中守に叙任される。その後、年月日不詳にて、備後守に遷任する。さらに備中守に還任する。 |