G305:塩谷頼純 | 源 経基 ― 源 頼信 ― 源 義親 ― 塩谷頼純 ― 塩谷孝綱 | G306:塩谷孝綱 | ● |
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塩谷孝綱 | 塩谷由綱(義孝) |
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宇都宮正綱の4男として生まれ、塩谷隆綱の養子となり、延徳元年(1489年)12月28日、隆綱の死とともに塩谷氏の家督を継ぐ。塩谷家と宇都宮家は断絶していたが、この養子縁組は両家の和睦のために行われた意味合いが大きい。 |
永正11年(1514年)以前に父・孝綱の隠居により家督を継ぐ。天文15年(1546年)10月19日に孝綱が没すると、弟の孝信が喜連川塩谷氏の養子となりその家督を継いでいたが、義孝と孝信の関係が徐々に悪化していく。この時、義孝は宇都宮家から正室を迎えているが、孝信は宇都宮氏と対立する那須氏の家臣大関氏より妻を迎えていたため、これをきっかけに不和になったと言われている。 |
塩谷義通 | 小幡義尾 |
塩谷氏の当主・塩谷義孝の長子として生まれるも、母親が側室であったため、庶子として扱われている。しかし母親は、塩谷氏の有力重臣である岡本氏の出であったため、時の実力者である岡本正親の支援を受けて育つ。元服すると、塩谷氏の居城のひとつである御前原城代となり、父の義孝も伊勢松丸を後継者としていたと考えられている。 |
下野国にある小幡氏は、塩谷郡乙畑村(現・栃木県矢板市乙畑)にある乙畑城を領した一族。乙畑氏ともいう。『矢板市史』は喜連川塩谷氏(塩谷氏の分家)の一族が乙畑の地に入り名乗ったとみなす。なお、塩谷氏系乙畑氏の子孫は代々小幡氏を称している。 |