清和源氏

G504:村上為国  源 経基 ― 源 頼信 ― 村上頼清 ― 村上為国 ― 村上経業 G509:村上経業

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村上経業 屋代家盛

 初名は明国。信濃村上氏の一族として兄弟等と共に御家人となる。文治元年(1185年)10月の勝長寿院落慶供養には子の頼時と共に参列しているほか、翌11月には禅師経伊なる弟が平時実を捕縛した。以後、建久元年(1190年)11月の源頼朝の上洛や同5年(1195年)12月の永福寺薬師堂落慶供養、同6年3月の東大寺参詣などに随行しているが、いずれも門葉とされた源頼兼や大内惟義らに次いで頼朝に近い列に加わっており、御家人内での地位は低いものではなかったことが窺える。
 『尊卑分脈』の記述によれば源頼政の娘婿となっていたとされる。また同書における頼清流の系譜には混乱がみられるが、村上氏の嫡流は兄弟の安信(あるいは宗信)の家系が継承したとされ、後代経業の子孫は嫡流から外れ、屋代氏などを称したという。

 明国の孫・家盛が埴科郡屋代郷に住して、屋代家盛と称したことに始まる。