<地祇系>

A002:伊邪那岐神  天之御中主尊 ― 伊邪那岐神 ― 素戔嗚尊 A301:素戔嗚尊

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素戔嗚尊 宇迦之御魂命 大山咋神

 『古事記』の記述によれば、神産みにおいて伊弉諾尊が黄泉の国から帰還し、日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとする。『日本書紀』では伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に産まれ天照・月読・蛯児の次に当たる。
 『古事記』によれば、建速須佐之男命は、母神伊邪那美のいる根之堅洲国に行きたいと願い、伊邪那岐の怒りを買って追放されてしまう。そこで母の故地、出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に姉の天照大神に別れの挨拶をしようと高天原へ上るが、天照大神は弟が攻め入って来たのではと思い武装して応対し、二柱は疑いをはっきり究明するために誓約を行う。
  我の潔白が誓約によって証明されたとして高天原に滞在する建速須佐之男命だったが、次々と粗暴を行い、天照大神はかしこみて天の岩屋に隠れてしまった。そのため、彼は高天原を追放された(神逐)。出雲の鳥髪山へ降った建速須佐之男命は、その地を荒らしていた巨大な怪物八岐大蛇への生贄にされそうになっていた美しい少女櫛名田比売と出会う。建速須佐之男命は、櫛名田比売の姿形を歯の多い櫛に変えて髪に挿し、八俣遠呂智を退治する。そして八俣遠呂智の尾から出てきた草那芸之大刀(草薙剣)を天照御大神に献上し、それが古代天皇の権威たる三種の神器の一つとなる。その後、櫛から元に戻した櫛名田比売を妻として、出雲の根之堅洲国にある須賀の地へ行きそこに留まった。
そこで、
 八雲立つ  出雲八重垣   妻籠に   八重垣作る   その八重垣を
と詠んだ。これは日本初の和歌とされる。
  櫛名田比売との間に八島士奴美神を産んでおり、その子孫に大国主神がいる(『日本書紀』では大已貴命で『古事記』では大国主神は彼の6代後の子孫としている)。

 伏見稲荷大社の主祭神であり稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神として祀られた。

 名前の「くい」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神とされる。『古事記』では、近江国の日枝山(後の比叡山)および葛野(葛野郡)の松尾に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。なお、大山咋神は里山に鎮まるとされることから、『古事記』の「日枝山」とは、比叡山全体というより里山である八王子山(比叡山の一部)を指すとする説もある。
 日枝山には日吉大社、松尾には松尾大社があり、ともに大山咋神を祀っている。
  比叡山の麓の日吉大社が大山咋神を祀る全国の日枝神社の総本社である。日吉大社には後に大物主神が勧請されており、大物主神を大比叡、大山咋神を小比叡と呼ぶ。山王は二神の総称である。大物主神は西本宮に、大山咋神は東本宮に祀られている。