<桓武平氏>高棟王系

H001:平 高棟  平 高棟 ― 平 実親 H009:平 実親

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平  基親 平 棟子

 蔵人所雑色,六位蔵人を経て、保元3年(1158年)従五位下に叙爵。出雲守,伯耆守と地方官を歴任した後、中宮大進,五位蔵人,右少弁を兼ね、高倉天皇と中宮・平徳子に仕えるが、治承三年の政変(1179年)で解官となる。
 寿永2年(1183年)、右少弁に還任すると、文治2年(1186年)に従四位下、文治5年(1189年)には正四位下・左大弁と弁官を務めながら順調に昇進し、建久元年(1190年)、従三位・兵部卿に至る。正治年間に『官職秘抄』を編集。
 建永元年(1206年)に出家。浄土宗の法然に師事する一方、同族の平光盛らの師となる。『選択本願念仏集』の編纂などにも関わった。

 当初四条天皇の内侍として出仕したが、天皇が亡くなったため新たに後嵯峨天皇に仕えて宗尊親王を産む。大変な美貌の持ち主で天皇の寵愛厚く、仁治3年(1242年)4月14日には掌侍に任じられ、寛元3年(1245年)2月18日典侍に進む。建長2年(1250年)10月13日には従二位を授けられ、さらに後年従一位准三后に上った。晩年は京極殿に居住し、京極准后と呼ばれた。徳治3年(1308年)9月16日薨じた。
 「増鏡」においては父を棟範と記しているが、これは棟範の娘で順徳天皇の乳母であった叔母の棟子と混同したものである。