創世の神々:別天津神

 天之御中主神 A001:天之御中主神

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天之御中主尊 伊邪那美神

 天地開闢に関わった五柱の別天津神の一柱。『古事記』では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしている(『日本書紀』では国之常立神が最初の神)。その後、高御産巣日神,神産巣日神が現れ、すぐに姿を隠したとしている。この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」という。
 『日本書紀』本文には記述はなく、第一段第四の一書にのみ登場する。そこでは、まず国常立尊、次に国狭槌尊が表れたと書き、その次に「また、高天原においでになる神の名を天御中主尊という」と書かれている。この記述からは、前に書かれた二神とどちらが先に現れたのかはわからない。なお、他の一書では、最初に現れた神は国常立尊、可美葦牙彦舅尊、天常立尊としている。
  『古事記』,『日本書紀』とも、その後の事績は全く書かれていないが、天之御中主神には倫理的な面は全く無く、中国の思想の影響を受けたとは考え難い。天上の神々が、その宗教的現実性を喪失して「暇な神」となる現象は、一般的に見られることである。

 天地開闢において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた。オノゴロ島におりたち、国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。その中には淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。
 火の神軻遇突智(迦具土神・カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿や糞や吐瀉物から神々を生んだ。そして、カグツチはイザナギに殺された。亡骸は、『古事記』によれば出雲と伯伎の境の比婆山に、『日本書紀』の一書によれば紀伊の熊野の有馬村に葬られたという。
 死後、イザナミは自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを追いかける。しかし、黄泉国と葦原中津国の間の黄泉路において葦原中国とつながっている黄泉比良坂で、イザナミに対してイザナギが大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。イザナミは閉ざされた大岩の向こうの夫にむかって「愛しい人よ、こんなひどいことをするなら私は1日に1000の人間を殺すでしょう」と叫ぶ。イザナギは「愛しい人よ、それなら私は産屋を建てて1日に1500の子どもを産ませよう」と返した。そしてイザナミとイザナギは離縁した。
 この後、イザナミは黄泉の主宰神となり、黄泉津大神、道敷大神と呼ばれるようになった。