| F018:天野景隆 | 藤原武智麻呂 ― 藤原乙麻呂 ― 藤原為憲 ― 入江維清 ― 天野景光 ― 天野景隆 ― 天野康景 | F019:天野康景 |

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| 天野康景 | 天野康氏 |
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幼少期から徳川家康の小姓としてその側近くに仕え、家康が人質になったときにも行動を共にした。永禄6年(1563年)の三河一向一揆では一向門徒であった天野一族にも一揆方に付く者がある中、康景は家康方で功を挙げている。そして本多重次,高力清長と共に家康の三河時代における岡崎三奉行と称され、「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」(清長は寛大、重次は剛毅、康景は慎重)と評価された。 |
康宗は父に従って城地を放棄し出奔したため、改易に処せられた。その後、康宗は寛永5年(1628年)に赦免されて1000俵を与えられ、天野氏は旗本として存続している。 |