<藤原氏>北家 冬嗣裔諸流

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藤原良方

  承和6年(839年)従五位下・加賀介、承和13年(846年)侍従に任ぜられる。のち大蔵少輔に任官し、仁寿元年(851年)10月奉幣使として香椎八幡大菩薩宮に派遣される。仁寿3年(853年)従五位上に叙せられる。
 外祖父の百済王仁貞は従四位下に叙せられた中堅貴族であったが、延暦10年(791年)に没していることから、良方の誕生はそれから15年以上後と推定されている(良方の生年は不詳であるが、生年が判明している冬嗣の次男良房と五男良相の生年から800年代後半であったとみられる)。従って、その立場は弱く、承和6年(839年)に従五位下に叙せられた後、従五位上に昇進するまでに14年もかかっており、最終的には従五位上・大蔵大輔に終わっている。他の兄弟との比較では、五位に昇進する前に早世した良門を除いて、最も昇進が遅かったことから、能力的な問題もあったと考えられている。