| G751:六角泰綱 | 源 雅信 ― 源 扶義 ― 佐々木定綱 ― 佐々木信綱 ― 六角泰綱 ― 松下高長 | G756:松下高長 |

| リンク | G757 |
| 松下高長 | 松下之綱 |
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松下氏の祖にあたる西條高長はもともとは比叡山の衆徒であったが、下山して遠江国山名郡平河郷で還俗し、鎌倉時代末期に三河国碧海郡松下郷に移住し、これにより苗字を松下と名乗ってはじまったと伝わる。 |
豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていた頃に一時期、主君として仕えていた人物である。之綱は遠江頭陀寺城主として今川義元に仕えた。 頭陀寺城は引馬城の支城と言う位置づけであったが、桶狭間の戦いの後に引馬城主が今川氏を見限り、周辺の親今川氏と反今川氏の豪族同士で抗争が起きた際、永禄7年(1564年)に今川方の軍に頭陀寺城が攻め落とされ炎上した。 |
| 松下重綱 | 松下長綱 |
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秀吉に仕え、のち豊臣秀次に属した。天正16年(1588年)、右兵衛尉に任官。慶長3年(1598年)、家督を相続して遠江久野1万6000石の領主となる。 |
寛永4年(1627年)に父が死去したため、家督を継いで二本松藩5万石の第2代藩主となるが、若年であることを理由に寛永5年(1628年)1月に陸奥三春藩3万石に移封された。寛永13年(1636年)、従五位下、石見守に叙位・任官する。 |