K327:三条天皇 | 三条天皇 ― 基平/信宗 | G911:源 基平/信宗 | ● |
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源 基平 | 行尊 |
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長久2年(1041年)元服と同時に一世源氏待遇の蔭位により従四位上に直叙され、翌長久3年(1042年)侍従に任ぜられる。長久4年(1043年)正四位下に叙せられた。 |
園城寺の明尊の下で出家、頼豪から密教を学び、覚円から灌頂を受けた。1070年(延久2年)頃より大峰山,葛城山,熊野などで修行し、修験者として知られた。 |
源 行宗 |
兵衛佐局 |
承保元年(1074年)11歳で従五位下に叙爵され、皇太弟・実仁親王の昇殿を聴される。永保3年(1083年)侍従に任ぜられ、次いで昇殿も聴されて白河天皇に接近した。応徳2年(1085年)に実仁親王が薨去しているが、応徳3年(1086年)従五位上に進み、堀河天皇の即位後の寛治元年1月(1088年1月)右兵衛佐に任ぜられた。 |
兵衛佐局が内裏に出仕したのは、父の喪が明けた保延5年(1139年)頃と見られる。女房名は養父・行宗のかつての官職である右兵衛権佐に因んで付けられた。 |
源 信宗 |
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院中将と号した。臣籍降下して源朝臣を賜り侍従に任ぜられる。後朱雀朝の長久元年(1040年)に左近衛少将に任ぜられ、翌長久2年(1041年)には昇殿を聴された。その後、長久4年(1043年)右近衛中将、永承5年(1050年)頃に左近衛権中将に任ぜられるなど、後三条朝初頭の治暦4年(1068年)頃まで約30年近くに亘って近衛次将を務めた。 |