<神皇系氏族>天神系

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渡会春彦
 高主は当初子供に恵まれず祈願したところ、翌年には双子を授かった。翌年も双子を授かり、更に翌年も双子を授かった。春彦は最後の双子として兄・秋並と共に11月18日に生まれる。春彦は成長の後、豊受大神宮の権禰宜を長く務めていたが、若い頃より頭髪が真っ白であったため「白太夫」と呼ばれていた。
 菅原道真が伊勢神宮への侵入者取り締まりを目的に検非違使設置を上奏し、897年(寛平9年)に度会郡(神郡)への検非違使増員が認められたことに合わせて、同年1月12日には検非違使に任じられる。918年(延喜18年)6月には、禰宜を務めていた兄・冬雄の養子となって同職を引き継いだ。15年ほど禰宜職を務めたうちに現在の豊受大神宮の神事作法を概ね立脚したといわれている。その後934年(承平3年)11月20日に禰宜職を長男晨晴に譲り、946年(天慶9年)1月7日に死去した。
 伊勢国山田船江の金剛寺の境内にあった6尺(約180cm)ほどある巨石が春彦の墓とされている。この巨石は、もとは白太夫が道真の太宰府下向の供をした際に播磨の袖ヶ浦で拾って伊勢に持ち帰った小石であったのが、後に寺の境内にあった天神の祠に小石を置いたところ、年月を経るにつれて巨石になり袂石と称するようになったという伝承がある。
 天神信仰の広がりとともに、天満宮の境内社として渡会春彦(白太夫)を祭神として祀る祠が各地に存在する。