<神皇系氏族>天神系

NT31:中臣国子  中臣阿麻毘舎 ― 中臣国子 ― 中臣東人 NT32:中臣東人

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中臣東人 中臣宅守

 和銅4年(711年)正七位上から五階の昇叙を受け従五位下に叙爵。元正朝において、養老2年(718年)式部少輔、養老4年(720年)従五位上・右中弁に叙任。この間の養老5年(721年)伊勢神宮幣帛使発遣に際して、中臣として奉仕している。
 神亀元年(724年)聖武天皇の即位に伴い、正五位下に叙せられる。聖武朝では兵部大輔などを務める一方、神亀3年(726年)正五位上、天平5年(733年)従四位下と累進した。

 天平12年(740年)頃に蔵部の女孺であった狭野弟上娘子を娶ったときに越前国に流罪となる。罪に問われた事情は明らかでなく、政変がらみとするものと禁を犯して娘子と結ばれたものとの両説がある。同年6月に大赦が行われるが、罪は赦されなかった。天平13年(741年)9月に再度行われた大赦により帰京したか。越前国配流時に狭野茅上娘子と交わした和歌を中心に40首が『万葉集』に採録されている。
 天平宝字7年(763年)従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵するも、天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱に連座して除名された。