<藤原氏>北家 真夏流

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日野有綱

 後冷泉朝の天喜元年(1053年)に対策に及第し、六位蔵人兼左衛門尉に任ぜられる。従五位下に叙爵後、右衛門権佐・五位蔵人を歴任し、後冷泉朝末の治暦4年(1068年)3月に正五位下に叙せられる。しかし、同年4月に後三条天皇が即位すると蔵人を止められ、翌治暦5年(1069年)摂津守として地方官に転じた。
 白河朝では大学頭,文章博士と学者の官職を歴任し、中宮亮として中宮・藤原賢子に仕えた。一方で令子内親王や藤原師通の家司も務めている。
 「応徳」の元号制定の勘申者でもあったため、応徳年間には最も名声がある学者の一人であったという。漢詩人や歌人としても名高く、漢詩は『本朝無題詩』や『別本和漢兼作集』、和歌は『万代集』『秋風集』などにその作が残っている。承保2年(1075年)には自邸での歌合開催が記録に残されている。応徳3年(1086年)9月卒去。最終位階は正四位下。