| F508:藤原師尹 | 藤原房前 ― 藤原冬嗣 ― 藤原良房 ― 藤原忠平 ― 藤原師尹 ― 鳥居行範 | F511:鳥居行範 |


| リンク | F512・{F609} |
| 鳥居行範 | 鳥居行遍 |
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『寛政重修諸家譜』によると、元々は穂積朝臣鈴木氏の一族で、紀伊国熊野権現の神官であり、重氏が法眼に叙された記念として熊野山に鳥居を建立したことから鳥居と名乗ったとされる。その後、内裏で実施された闘鶏に赤い鶏を参加させたところ、その鶏が勝ち続け、平清盛に平家の赤旗を連想させて縁起が良いという理由で気に入られたことから、桓武平氏を名乗る事を許されたとされている。通称「鳥居法眼」と呼ばれた。 |
行遍は若年の頃、熊野新宮の社僧・御師としてその家業に従いつつ、熊野で修行していた紀伊出身の有名歌人・西行法師から歌道を学んだ。その時期は1160年代後半から1170年代前半にかけての時期と推定される。 |
| 鳥居行命 | 鳥居行忠 |
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承安元年(1173年)、後白河院熊野参詣の際に、常住の行命法眼が入道前太相国(平清盛)や長床衆などの「船渡」を務めたという記録があり、この頃から院のみならず平家との関係をも深めたとみられる。 |
承久の乱以降の行忠の代には、三河国矢作庄に移り、土着して忠氏と改名したと伝わる。 |