| F521:藤原師輔 | 藤原房前 ― 藤原冬嗣 ― 藤原良房 ― 藤原忠平 ― 藤原師輔 ― 藤原道綱 | F635:藤原道綱 |


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| 藤原道綱 | 道命 |
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天禄元年12月(970年1月)従五位下に叙爵。のち、右馬助・衛門佐・左近衛少将と武官を歴任するが、正妻腹の異母兄弟である道隆・道兼・道長らに比べて昇進は大きく遅れた。 |
阿闍梨、天王寺別当。中古三十六歌仙の一人。若くして出家し、天台座主・良源の弟子となった。長和5年(1016年)天王寺別当。 |
| 藤原兼経 | 藤原基家 |
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母の姉妹である源倫子が叔父の道長の正室であった関係で、道長の養子として世に出る。寛弘8年(1011年)に元服し従五位上に叙爵。以後、道長の威光を背景に昇進を重ね、寛仁2年(1018年)に19歳にして従三位となって公卿に列する。治安3年(1023年)には参議に任ずるが、その後、病のため昇進が停止。長元8年(1035年)備前守。長暦元年(1037年)に至ってようやく正三位となり、長久4年(1043年)に出家、引退。同年に薨去。 |
左近衛中将を務めた後、後三年の役が終結した翌年の寛治2年(1088年)に源義家が陸奥守を解任されると、その後任として赴任する。寛治6年(1092年)には陸奥国最大の在地勢力である藤原清衡に合戦の企てが見える旨を朝廷に報告している。翌寛治7年(1093年)、任国において死去。 |
| 藤原豊子 | 藤原兼綱 |
| 一条天皇中宮の藤原彰子に仕えた上臈女房で、のち彰子所生の後一条天皇の乳母となった。彰子とは父親同士が兄弟の従姉妹にあたる。女房名は宰相の君,弁の宰相の君,讃岐の宰相の君,美作三位などと称した。紫式部の親しい同僚の一人で『紫式部日記』にもたびたび登場、「絵に描いた姫君のよう」などと言われ、その美しさを賞賛されている。また同じく彰子に仕えた赤染衛門とも親交があった。 |
関白右大臣として執政の座にあった藤原道兼の3男として誕生するが、長徳元年(995年)に道兼が没した後、伯父・藤原道綱の養子となった。 |