<藤原氏>北家 魚名流 ― 末茂流

F889:櫛笥隆憲  藤原魚名 ― 藤原末茂 ― 藤原連茂 ― 藤原家保 ― 四条隆親 ― 櫛笥隆憲 ― 園池宗朝 F891:園池宗朝

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園池公静 園池公致

 嘉永3年1月(1850年)に元服し昇殿を許された。右京大夫を経て、元治元年6月(1864年)右近衛権少将に任官。慶応2年8月(1866年)、朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控となる。慶應4年1月5日(1868年1月29日)書記御用掛となる。
 慶応4年7月29日(1868年9月15日)奈良府知事に就任。明治2年7月17日(1869年8月24日)奈良府が奈良県に改称され引き続き同県知事を務めた。明治3年8月19日(1870年9月14日)知事を免官。同年9月17日(10月11日)侍従に就任。以後、滋宮祗候,明宮祗候を務めた。
 1885年7月8日、子爵を叙爵した。1915年4月15日に隠居し、同月30日に長男・実康が襲爵した。

 東京市麹町区平河町にて子爵・園池実康の長男として生まれる。父は宮内省に勤務し、のち宮中顧問官となった。弟の園池公功は演出家,評論家,女子美術大学理事。
 学習院を中退し、1896年から1901年まで侍従職出仕として明治天皇に侍した。里見弴たちと共に回覧雑誌『麦』を刊行。また『白樺』創刊に参加。
 1919年、小説『一人角力』が広津和郎に激賞される。晩年は安倍能成,和辻哲郎,武者小路実篤,竹山道雄たちと共に、著名な白樺派作家も参加した文芸誌『心』の同人だった。
 長男・園池実覧は応用物理学者,工学博士,中央大学名誉教授。孫の園池公毅は植物生理学者,早稲田大学教授。