| G166:宇野頼治 | 源 経基 ― 源 頼親 ― 源 頼房 ― 宇野頼治 ― 江川俊治 | G167:江川俊治 | ● |

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| 江川英治 | 江川正英 |
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| 文献上、江川酒についての史料が多い。酒に関して「江川氏系譜」の英治の項の註として「酒を造って、最明寺時頼に進、時頼之を飲て美味なることを感、是より酒の名世に流布仕候」とあるのが家伝の初見である。 |
戦国期、又太郎正英は北条早雲の幕下にいたが、「酒を造って早雲へ進む。早雲美味なることを感じ、江川酒と名を賜い、酒部屋を造らしむ、是より江川酒の名世上に流布仕候」と、江川酒は早雲の命名と伝えている。 |
| 江川英長 | 江川英龍 |
| 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐の際には、江川家28代・英長は寝返って徳川家康に従い、代官に任ぜられた。以降、江川家は、享保8年(1723年)~宝暦8年(1758年)の間を除き、明治維新まで相模・伊豆・駿河・甲斐・武蔵の天領5万4千石分(後26万石に膨れ上がる)の代官として、民政に当たった。 | 36代当主。号は坦庵。一般には江川太郎左衛門といえば彼を指すことが多い。洋学の導入に貢献し、民政・海防の整備に実績を挙げる。品川台場(お台場)を造り、鉄製の大砲を鋳造するための反射炉も造り始めた。日本で初めてパンを焼いた人物としても知られる。 |
| 江川英武 | 江川英文 |
| 明治維新のときの当主。廃藩置県後は韮山県令となるが、まもなく岩倉使節団に随行、そのまま留学。その後は地域教育に尽くす。 | 東京大学教授で法律学者。専門は国際私法。財団法人江川文庫を設立、江川家代々の資料を研究者に公開する。 |