清和源氏

G166:宇野頼治  源 経基 ― 源 頼親 ― 源 頼房 ― 宇野頼治 ― 江川俊治 G167:江川俊治

リンク
江川英治 江川正英
 文献上、江川酒についての史料が多い。酒に関して「江川氏系譜」の英治の項の註として「酒を造って、最明寺時頼に進、時頼之を飲て美味なることを感、是より酒の名世に流布仕候」とあるのが家伝の初見である。 

 戦国期、又太郎正英は北条早雲の幕下にいたが、「酒を造って早雲へ進む。早雲美味なることを感じ、江川酒と名を賜い、酒部屋を造らしむ、是より江川酒の名世上に流布仕候」と、江川酒は早雲の命名と伝えている。
 以後、江川酒は北条氏の贈答品として、上杉謙信,長尾憲景,安中五郎兵衛,北条氏邦らに北条氏政が贈っていることがみえる。また、天正10年(1582年)には武田討伐の戦勝祝賀として、氏政は滝川一益を介して織田信長に馬・白鳥とともに「江川の御酒」を献上している。『松平家忠日記』にも、天正10年3月、同15年3月の条に「家康様より江川酒給候」とある。このように江川氏によって韮山で造られた江川酒は、北条氏政の頃には銘酒と評価され、戦国大名の贈答品となり得ていたことが確認できる。 

江川英長 江川英龍
 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐の際には、江川家28代・英長は寝返って徳川家康に従い、代官に任ぜられた。以降、江川家は、享保8年(1723年)~宝暦8年(1758年)の間を除き、明治維新まで相模・伊豆・駿河・甲斐・武蔵の天領5万4千石分(後26万石に膨れ上がる)の代官として、民政に当たった。   36代当主。号は坦庵。一般には江川太郎左衛門といえば彼を指すことが多い。洋学の導入に貢献し、民政・海防の整備に実績を挙げる。品川台場(お台場)を造り、鉄製の大砲を鋳造するための反射炉も造り始めた。日本で初めてパンを焼いた人物としても知られる。 
江川英武 江川英文
 明治維新のときの当主。廃藩置県後は韮山県令となるが、まもなく岩倉使節団に随行、そのまま留学。その後は地域教育に尽くす。   東京大学教授で法律学者。専門は国際私法。財団法人江川文庫を設立、江川家代々の資料を研究者に公開する。