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三池藩主家立花氏分家の一つである立花甲斐守家の祖。慶長13年(1608年)、当時、浪人で宗卜と称した直次の子として誕生。元和3年(1617年)に父の直次が死去する。元和9年(1623年)11月、大御所秀忠と将軍家光に初めて拝謁する。小姓に列して廩米500俵(500石の知行と同じ)を与えられた。 寛永7年(1630年)12月29日従五位下・甲斐守に叙任される。のちに書院番に移り、寛永9年(1632年)11月5日より進物の事を勤める。寛永10年(1633年)2月7日、200石を加増され、合計700石となったことから、相模国大住郡内に石高700石分の知行地を貰う。 正保2年(1645年)9月19日死去。享年38。下谷広徳寺に葬られた。家督は種成が相続した。
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柳河藩重臣家の立花両家の一つで「武の家」と呼ばれた立花内膳家の祖。通称は内膳。 寛永14年(1637年)の島原の乱の際において、親類の三池藩主で幼少であった立花種長に代わって三池藩兵95名を指揮。この功により、寛永15年(1638年)に丁銀690目及び上内村及び下内村に2000石を拝領されるが、半分の上内村1000石のみを受けており、これが内膳家代々の所領となったとされる。また、戦後に『島原陣記』を記した。 寛文4年(1664年)閏5月17日に死去。墓所は柳川の台照院。なお、文久3年(1863年)に内膳家所領内の上内八幡宮境内に政俊没後200年を記念して宗繁神社が建立される。
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