| HT04:秦 酒公 | 秦 酒公 ― 惟宗永厚 | HT04:惟宗永厚 |

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| 惟宗広言 | 津々見忠季 |
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文章生を経て大宰少監,式部丞を歴任し、久寿2年(1155年)正六位上、永暦元年(1160年)従五位下に叙される。文治2年(1186年)筑後守。 |
鎌倉幕府御家人で若狭国守護。惟宗氏の流れを汲む島津氏の一門で、薩摩国守護・島津忠久の弟(あるいは兄)と伝える。堤忠季さらに後に若狭忠季と名乗った。若狭島津氏の祖。 |
| 津々見忠清 | |
| 承久の乱で戦死した父・忠季の跡を継ぎ、若狭国守護および同国遠敷,三方両郡の総地頭などに任命され、地頭領主制を推し進め、同国における若狭氏支配の基礎を築いた。しかし、東寺領の太良荘では荘官の定宴や有力百姓と度々相論に至り、寛元元年(1243年)、地頭の非法を訴える百姓らと六波羅探題で対決したが、荘民側の全面勝訴の判決に基づき地頭代罷免の裁決を受けた。また、宝治元年(1247年)には荘務権をめぐる預所代定宴との相論においても「地頭之違乱」とされ敗北し、太良荘の地頭支配は一旦挫折した。 |