<神武朝>

K004:孝元天皇  孝元天皇 ― 武内宿禰 K008:武内宿禰

リンク KZ01SG01HA01KI02・KS01・HG01・EN01
武内宿禰

 『日本書紀』景行天皇紀では、屋主忍男武雄心命と、菟道彦(紀直遠祖)の女の影媛との間に生まれたとする。孝元天皇紀では、孝元天皇皇子の彦太忍信命を武内宿禰の祖父とすることから、武内宿禰は孝元天皇3世孫にあたる。なお、応神天皇紀では弟として甘美内宿禰の名が見える。
 『古事記』では、孝元天皇皇子の比古布都押之信命(彦太忍信命)と、宇豆比古(木国造)の妹の山下影日売との間に生まれたのが建内宿禰(武内宿禰)であるとし、孝元天皇皇孫にあてる。同書においては、異母兄弟として味師内宿禰(甘美内宿禰)の名が見える。
 子に関して、『日本書紀』では平群木菟宿禰のみ親子関係が明示されている。一方『古事記』では、7男2女と後裔27氏を掲載する。
 なお武内宿禰の系譜に関しては、武内宿禰が後世(7世紀後半頃か)に創出された人物と見られることや、稲荷山古墳出土鉄剣によれば人物称号は「ヒコ → スクネ → ワケ」と変遷するべきで襲津彦の位置が不自然であることから、原系譜では武内宿禰の位置には襲津彦があったとする説がある。
 武内宿禰の生まれについて景行天皇紀によると、天皇は紀伊に行幸して神祇祭祀を行うとしたが、占いで不吉と出たため、代わりに屋主忍男武雄心命が遣わされた。そして武雄心命が阿備柏原にて留まり住むこと9年、その間に影媛との間に儲けたのが武内宿禰であるという。また成務天皇紀では、武内宿禰は成務天皇と同日の生まれ(景行天皇14年、月日不詳)とする。その後、第12代・景行天皇から第16代・仁徳天皇までの5代にわたり武内宿禰の事績が記されている。