| MT01:松平親氏 | 松平親氏 ― 松平光親 | MT12:松平光親 |


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| 阿知和重玄 | 松平重吉 |
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在所であった額田郡阿知和から「阿知和」を称した。元亀2年(1571年)、武田信玄の軍勢が三河国・遠江国に進攻し、3月には足助城などが陥落した。この際、足助の住人の間には、武田氏に味方して岡崎を攻めようとする動きがみられた。このため徳川家康は、阿知和玄鉄と青山忠門に命じて岡崎北方の防衛に当たらせた。玄鉄と忠門は百々村に柵をめぐらせて兵士を配置し、斥候を立て、夜には篝火をたいて、岡崎への通路を警備した。果たして一揆勢は百々村に襲来したが、それ以上進むことはできなかったという。 |
永禄元年(1558年)、主君・今川氏に背いた鈴木重辰(日向〈の居城・寺部城攻めの際は松平元信(後の徳川家康)に従って功績を立てた。三河一向一揆が起きると酒井忠尚の居城・上野城を攻め、戦功を挙げる。家康の嫡男・信康が武節城,足助城攻めで初陣を飾った時は、鎧を身に付けさせる具足親となった。天正8年(1580年)死去、享年82。 |