| MT12:松平光親 | 松平親氏 ― 松平光親 ― 松平重勝 | MT13:松平重勝 |


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| 松平重勝 | 松平重忠 |
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徳川家康に仕えて初期の大番頭を務め、慶長10年(1605年)に伏見城の守護、慶長17年(1612年)に家康6男・松平忠輝の附家老となり、越後高田藩を支配した忠輝の配下として越後三条2万石を与えられる。長男・重忠は将軍家で大番頭を務めていたため、次男・重長を手元に置いた。 |
慶長17年(1612年)に大番頭となる。慶長19年(1614年)に大坂の陣が始まると、冬の陣では大坂城攻め、夏の陣では伏見城守備を担当した。元和7年(1621年)、駿府城代に任じられた。同年に家督を継ぎ横須賀藩主となる。元和8年(1622年)には出羽上山藩4万石に加増移封された。 |
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松平重則 |
松平勝隆 |
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慶長3年(1598年)から徳川秀忠の家臣として仕えるようになり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、秀忠に従って信濃国上田城攻めに参加した。その後、伏見城や二条城の城番となり、慶長18年(1613年)には御徒士頭となる。元和2年(1616年)に秀忠の弟・松平忠輝が改易された際、その蟄居を伝える使者役を務めた。 |
始め母方の伯父・鳥居元忠に養育されて、その所領であった陸奥国磐城平で養育された。慶長18年(1613年)から家康に仕え、後に2代将軍・徳川秀忠に仕えて大番頭、奏者番などを歴任した。中でも代表的な大任であったのが松平忠輝への除封申し渡しである。 寛永11年(1634年)、伊予国松山藩主・蒲生忠知が死去し、嗣子がいないために国政を代わりに勤め、松平定行への城引渡しの役も勤めた。寛永15年(1638年)、上総国佐貫藩主となって1万5000石を領した。 |
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松平重治 |
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寛永19年(1642年)、江戸幕府の高家である品川高如の次男として生まれる。初代藩主・松平勝隆の養子となっていた松平勝広が廃嫡されたため、代わって慶安5年(1652年)6月に勝隆の養子となる。明暦3年(1657年)12月、従五位下・宮内少輔に叙位・任官。寛文2年(1662年)9月に勝隆の隠居にともなって家督を継承して第2代藩主となり、出雲守に遷任する。 |