|
TB01:(不明)橘 諸兄 |
橘 佐為 |
TB31:橘 佐為 |
● |

| リンク |
| 橘 佐為 | 広岡百枝 |
|---|---|
|
和銅7年(714年)二世王の蔭位により无位から従五位下に叙爵。養老5年(721年)従五位上に叙せられ、まもなく紀男人,山上憶良らと共に、教育係として退朝後に皇太子・首皇子(のちの聖武天皇)に侍すよう命じられる。 |
延暦18年(799年)内舎人に任ぜられる。大同2年(806年)に発生した伊予親王の変に連座して、常陸員外掾に左遷される。 |
|
広岡古那可智 |
広岡真都我 |
|
天平8年(736年)11月、伯父の橘諸兄,父の橘佐為らとともに、橘宿禰の賜姓を受け、天平9年(737年)2月に無位から従三位に叙せられており、同時に父佐為も従四位上から正四位下に昇進している。このため、この時期に聖武天皇の夫人となったとされているが、既に皇子を生んでいる県犬養広刀自も同時に無位から従三位に叙位されていることから天皇のキサキになった時期とは分けて考えるべきだという見方もあり、光明皇后の実母で宮廷に大きな影響力があった祖母・県犬養三千代の存命中にその後ろ盾で入内したとする説もある。 |
孝謙朝の橘奈良麻呂の乱の約2ヶ月後の天平勝宝9年(757年)閏8月に、聖武天皇の夫人であった姉の古那可智,兄の橘綿裳らとともに広岡氏を授かっている。 |