| F938:首藤助清 | 藤原秀郷 ― 藤原千常 ― 佐藤公清 ― 首藤助清 ― 山内首藤俊通 | F940:山内首藤俊通 |


| リンク | F941・F947・F948 |
| 山内首藤俊通 | 山内道美 |
|---|---|
|
相模国出身で藤原秀郷の後裔を称する。曾祖父の首藤資通は、幼少時は奥州に12年居住し、前九年の役,後三年の役で源義家に従った。俊通は首藤義通の子で、幼少時は奥州に12年居住したのち、相模鎌倉郡山内庄を領した際に山内姓を名乗り、山内首藤氏と呼ばれるようになった。源義朝に従って保元の乱,平治の乱に参戦したが、平治元年(1159年)12月28日、京都の四条河原で平家方に討たれた。 |
道美は法名ともいわれる。1281(弘安4)年に飯田荘上郷内の亀久保・西俣に入った山内道茂の時代から、応永年間(1394~1428年)初期には山内通弘・通秀の代に南へ進出し、天方本城を築いたとされる。城主が山内対馬守道美のとき、天方本城を弟の山城守に譲り、さらに南の飯田郷に進出する。1401(応永8)年に飯田城(のちに飯田古城)を築き、禅僧・如仲天誾を招いて崇信寺を創建して寺領を寄進した。これにより道美は飯田山内氏の祖となった。応永32年(1425年)12月16日死去。 |
| 山内通泰 | |
|
山内対馬守道美(1425年没),2代・山内対馬守久通(没年不詳)に続く3代目とされるが、没年1569(永禄12)年からみて3代目ではないと考えられる。また、同族の天方氏にも通泰がみられるが、法名が異なり別人か。 |