<桓武平氏>高望王系

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伊勢貞継 伊勢貞行

 足利尊氏,義詮,義満の3代の将軍に仕える。康暦元/天授5年(1379年)の康暦の政変後、かつて養育係をつとめた義満の信任により政所執事となり、伊勢氏の同職世襲化への道を拓いた。明徳2/元中8年(1391年)3月29日死去。83歳。初名は時貞。


 最初は足利義満に近侍し帯刀などを務めた。明徳2年/元中8年(1391年)に政所執事に任命され、明徳4年(1393年)11月に義満の嫡子・足利義持の矢開の儀で惣奉行を務めた。
 応永年間に入ると大御所となった義満は毎年1月4日に貞行の屋敷で風呂に入るようになり、以後は恒例の行事となる。応永8年(1401年)に出家して吉野に隠居する。応永17年(1410年)7月5日に死去。享年53。

伊勢貞経

 伊勢貞行の長男。父の死後、応永17年(1410年)から政所執事として将軍・足利義教に仕えたが、義教の政策を批判して永享3年(1431年)に失脚させられた。家督を弟の貞国に譲った後に吉野を隠居領として与えられて吉野氏を称したという。一説によれば、執事代で伊勢氏の家宰でもある蜷川親吉が義教に告発したことで罪が明らかになったと伝えられているが、親吉自身も連座して弟とされる親当にその地位を奪われているため、真相は不明である。
 真正極楽寺などで行われる十夜法要の発端とされる霊夢を見たのは弟の貞国とするのが通説だが、貞経とする説もある。