| TJ04:安保実光 | 継体天皇 ―(宣化天皇)― 多治比 嶋 ― 丹治武綱 ― 安保実光 ― 大俵忠清 | TJ05:大俵忠清 |

| リンク | TJ06{TJ07}{F783} |
| 大俵忠清 | 大俵胤清 |
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| 家伝によれば武蔵国阿保郷に住した備前守忠清を祖とする。その子孫が後に下野国那須の大俵に移住して「大俵」を称し、14代資清の代に「大田原」に改姓したという。また、『寛永諸家系図伝』では、武蔵七党の丹党の一族・阿保氏の流れと謳っているが、実際には宣化天皇からの系図ではなく大俵忠清が初祖として書かれている。 |
下野国水口城主。永正11年(1514年)、上那須家当主の那須資親の後継者争いでは、大関氏や金丸氏らと共に資親の実子・山田資久を擁立、伊王野氏ら上那須氏の家臣の大部分を味方につけたが、資久は資親の養子・那須資永に殺害される。資永が那須資房や大田原資清らに居城を攻められ自害すると、胤清らは下那須家より那須政資(那須資房の子)を当主として迎え、結果的に那須氏を統一させた。 |
| 大田原資清 | 大田原綱清 |
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永正11年(1514年)、那須氏15代(上那須家)当主・那須資親の死後、資親の実子・山田資久と養子・那須資永の間で家督争いが生じる。資清は父・胤清と共に資久を支持するが、内紛の最中に資久が資永に殺害されて上那須家が断絶、資清は那須資房らと共に資永を攻め自刃に追い込んだ。 |
大田原氏は那須七騎の一つ。天文7年(1538年)、大田原資清の3男として誕生。天文18年(1549年)の喜連川五月女坂の戦いで初陣して戦功を挙げたとされている。永禄3年(1560年)、父・資清が没すると家督を継いだ。 |