川北城跡

かわきたじょうあと (kawakita Castle Ruins)

【C-ME055】探訪日:2020/9/30

【C-ME055】川北城跡 三重県津市大里川北町295-59

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME055】川北城跡

   1274(文永11)年、長野工藤氏の与力であった川北氏によって築かれた。川北氏は長野氏6代の経藤の子・藤照が分家したことに始まる。
 南北朝争乱のなか、1360(正平15/延文5)年には北朝方の高師秋,土岐頼義らに攻められて落城するが、その後の1467~77(応仁元~~文明9)年に起こった応仁の乱に際しては、長野氏らと共の失地を回復し、文明年間(1470~86年)頃には川北内匠亮によって再興されたと考えられる。川北氏は主家の長野氏が滅亡した後は、分部氏とともに織田信包の家臣となったとされるが、詳細は不明。
 台地の南西斜面に空堀,土塁,郭などを築き、その背後の丘陵上に居館を配し、その面積は約25,000㎡に及んだようであるが、現在、多くの部分が川北公園,住宅団地となっている。石碑と歴史看板後方の櫓台のような高台は公園整備時につくられたもので、当時の遺構ではない。1978(昭和53)年と1984(昭和59)年の全域発掘調査では、堀や土塁,柵列で区切られたいくつかの郭を形成し、その中に多数の掘立柱建物を配した極めて計画性を持った城であったことが明らかになり、出土遺物には、山茶碗や山皿,鍋,釜などの日常雑器のほか、青磁,白磁など中国から輸入された高級陶磁器も出土している。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 南北朝時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1274年 1360年 1470~86年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
川北藤照 F039 高 師秋 TS** 土岐頼義 G13*
川北内匠亮 F***

 

【C-ME055】川北城跡
  

 

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▲城址碑後方の高台(遺構ではない)

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