寺院

北海道・東北(北海道・青森県・岩手県・秋田県・山形県・宮城県・福島県)

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐HD001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐AM001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定

西磐井郡
平泉町

T‐IW001 中尊寺
T‐IW002 毛越寺
T‐IW003 観自在王院跡
T‐IW004 無量光院跡
T‐IW005 達谷西光寺
T‐IW006 千手院
奥州市 T‐IW007 長者ヶ原廃寺跡

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐AT001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐YG001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 規模

宮城郡
松島町

T‐MG001 瑞巌寺
T‐MG002 五大堂
T‐MG003 円通院
仙台市 T‐MG004 瑞鳳寺

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐FS001

 

関東(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・茨城県・栃木県・群馬県)

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐TK001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
鎌倉市 T‐KN001 建長寺 1253年、北条時頼が開基となり、南宋の禅僧・蘭渓道隆を開山として創建された鎌倉五山第一位の寺院である。伽藍配置は中国式であり、創建当時の建物は総門,山門,仏殿,法堂,方丈が一直線に並ぶ。
T‐KN002 円覚寺 1282年、北条時宗が元寇の戦没者追悼のため無学祖元を招いて創建した。鎌倉五山第二位に列せられる。当時の伽藍は総門,三門(山門),仏殿,法堂,方丈が一直線に並ぶ典型的な禅宗様伽藍配置であったが、度重なる大火,兵火で古い建物は失われた。舎利殿は県唯一の国宝建造物である。
T‐KN003 寿福寺 1200年、北条政子明庵栄西を開山に招いて創建した。創建当時は七堂伽藍を擁する大寺院で多くの名僧が入寺した。中門から内側の境内は一般公開されていない。境内裏手奥のやぐらには、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔がある。
T‐KN004 浄智寺 1281年、北条宗政の菩提を弔うために宗政の妻と兄・北条時宗が開基となり創建された。最盛期には七堂伽藍を備え、塔頭11寺院に達した。曇華殿には木像三世仏坐像を安置する。
T‐KN005 浄妙寺 1188年、足利義兼による創建と伝えられる。鎌倉五山の第五位の寺院である。寺に淡島明神立像を安置することから婦人病の祈願所とされている。足利貞氏の墓と伝える宝篋印塔がある。1351年には浄妙寺境内の延福寺に足利直義が幽閉され急死した。
T‐KN006 明月院 1380年頃、上杉憲方密室守厳を開山として開創した。もとは北条時頼の最明寺を再興した禅興寺の塔頭であった。境内には、「悟りの窓」で有名な方丈,北条時頼墓,明月院やぐらがある。
T‐KN007 長寿寺 1358年、足利基氏が同年に没した父・足利尊氏の菩提を弔うために尊氏邸跡に創建した。開山は古先印元禅師。当時は七堂伽藍を備えたが、現在は本堂と観音堂などごく一部が残るのみである。
T‐KN008 円応寺 別名「十王堂」。1250年、開山を桑田道海(智覚禅師)として創建されたとされるが、当初から禅寺として建てられたことには疑問が残る。本堂には本尊の閻魔像や十王像等の像が安置されている。
T‐KN009 浄光明寺 1251年頃、北条時頼北条長時が開基となって創建され、開山は真阿であった。鎌倉時代,室町時代と足利氏および鎌倉公方の帰依を受けたが、江戸幕末には荒廃した。境内には客殿,庫裏,不動堂などがある。
T‐KN010 東勝寺跡
(腹切りやぐら)
13世紀前半に北条泰時に創建された。開山は退耕行勇。1333年には鎌倉に攻め寄せた新田義貞の軍勢に抗しえず、北条高時ら北条氏一門が当寺で自刃し鎌倉幕府終焉の地となった。「腹切りやぐら」が残されている。
T‐KN011 杉本寺 工事中
T‐KN012 本覚寺 現在の山門の前には夷堂と呼ばれる堂があった。夷堂は、源頼朝が鎌倉幕府の開幕の際に裏鬼門にあたる方向の鎮守として建てたとされる。1436年、一乗院日出が日蓮にゆかりの夷堂を日蓮宗に改め本覚寺を創建。後に身延山より日蓮の遺骨を分骨して本覚寺に納めたため「東身延」と呼ばれる。主な伽藍は近代になってからの創建である。
T‐KN013 妙本寺 1260年、日蓮を開山として創建された日蓮宗最古の寺院である。もともと比企能員の屋敷であったが、比企能本が比企一族の霊を弔うために日蓮に土地を献上し、日蓮が法華堂を建立したのが寺院の始まりといわれる。境内には比企一族の墓所,一幡之君の袖塚,姫君竹御所の墓所がある。
T‐KN014 安養院 前身は北条政子が源頼朝の菩提を弔うため創建した長楽寺と伝えられる。1333年、長楽寺は兵火により焼失し大町にあった善導寺に統合されて安養院長楽寺と号した。さらに1680年に火災に遭った際に田代寺を統合して再建された。田代寺は1192年に田代信綱が尊乗を開山として建立した寺である。
T‐KN015 安国論寺 1260年、日蓮の弟子の日朗が日蓮が前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆した松葉ヶ谷草庵の岩穴(御法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりである。境内には、法難時に白猿に導かれて避難した場所とされる南面窟や日朗が出家剃髪し荼毘に伏して欲しいとの遺言による日朗上人荼毘所がある。
T‐KN016 長勝寺 1253年、日蓮に帰依した石井長勝が自邸に法華堂を建て日蓮に寄進したのに始まると伝えられる。この堂は現在京都市山科の本圀寺の前身とされ、洛中に移って荒廃していたのを日際が再興し石井山長勝寺と号したという。
T‐KN017 来迎寺 1194年、源頼朝は真言宗能蔵寺を建立し、源氏再興をかけ衣笠城で戦死した三浦義明の霊を手厚く弔った。その後、1335年に時宗に改宗され寺号も来迎寺と改められている。本堂の右手には三浦義明とその孫多々良三郎重春の墓がある。
T‐KN018 実相寺
(工藤祐経邸跡)
鎌倉時代の工藤祐経の屋敷跡で、1271年に祐経の外孫で日蓮の弟子でもある日昭が、日蓮が佐渡にいる間に一門の教化,統率の拠点として開いた濱土法華堂が始まりとされる。日蓮入滅後に濱土法華堂を寺とし法華寺とした。しかし、新田義貞の鎌倉攻めで全焼し一時伊豆に移ったが、その後現在の地に再建された。
T‐KN019 九品寺 1336年、新田義貞が鎌倉幕府滅亡後に北条方で亡くなった者の菩提を弔うために創建したものと伝えられる。勝長寿院とともに義貞が鎌倉攻めの本陣とした場所ともいわれている。
T‐KN020 光明寺 1240年、北条経時が佐助ヶ谷に開創した蓮華寺を起源とし、1243年に現在地に移築し光明寺と改称したとされる。近世には浄土宗の関東十八檀林の第一位の寺として栄えるに至った。国宝である紙本著色当麻曼荼羅縁起2巻は奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅と中将姫の説話を絵解きしたものである。日向国延岡藩領主である内藤家歴代の墓所がある。
T‐KN021 極楽寺 1259年、北条重時が深沢にあった念仏系の寺院を当時「地獄谷」と呼ばれていた現在地に移したのが始まりとされる。重時死後は、その子の北条長時,業時が父の遺志を継いで伽藍を整備した。1267年に実質的な開祖である忍性が入寺した。
T‐KN022 長谷寺 寺伝によれば、736年に大和長谷寺の開基・徳道上人藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。この十一面観音像は、大和長谷寺の十一面観音像と同木から造られたとされる。歴代の権力者たちが伽藍や本尊の修造を行っている。
T‐KN023 高徳院
(鎌倉大仏)
高徳院は鎌倉大仏(阿弥陀如来坐像)を本尊とする浄土宗寺院であるが、開祖,開基ともに不明であり、大仏の造像の経緯についても不明な点が多い。銅造阿弥陀如来坐像は鎌倉期に流行した宋風の仏像の特色を示している。造像当初は表面に金箔を貼っていたとされており、現在でも右頬に金箔の跡が確認できる。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐ST001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐CB001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐IR001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐TG001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐GM001

 

甲信越(山梨県・長野県・新潟県)

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐YN001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定

木曽郡
木曽町

T‐NN001 興善寺 工事中
T‐NN002 徳音寺 工事中
T‐NN003 林昌寺 工事中

下伊那郡
阿智村

T‐NN004 長岳寺 創建は815年、最澄が古代の官道である東山道の難所である神坂峠に布施屋を建てたのが始まりとされる。長岳寺は武田信玄の遺体を火葬した場所としても知られる。火葬され場所には火葬塚が設けられていたが、信玄没後400年祭に火葬した灰を長岳寺境内に移し十三重塔を建立し供養した。

下伊那郡
高森町

T‐NN005 松源寺 1513年頃、松岡貞正(明甫正哲)によって開創された臨済宗妙心寺派に属している禅寺である。1545年から12年間、井伊直親(亀之丞)が匿われていたことでも知られる。1582年の織田軍の甲州征伐や1897年の火災で堂塔が焼失したが1900年に再建された。
飯田市 T‐NN006 浄玄寺 創建は1586年とされるが、開祖は不明。本堂は1700(元禄13)年の再建である。幕末から明治の始めを生きた第18代住職の源道上人(天龍道人)が、寺の天井や襖などに日々描き続けた絵が有名である。最高傑作とされるのは釈迦成道図である。
T‐NN007 耕雲寺 門前には座光寺北城の空堀跡が残る。創建時期は定かではないが、山門は龍宮門形式で1795年に再建されたものである。建築したのは様式からみて三河系の工匠ではないかとされている。

下伊那郡
松川町

T‐NN008 瑞応寺 鎌倉時代以降、中部伊那地方に大きな力を持った片切氏が創建した寺院で、伊那谷の代表的な禅刹として知られている。本堂は伊那谷の仏寺のなかで最も大きな木造建築物の一つであるといわれている。

上伊那郡
飯島町

T‐NN009 西岸寺 1261年、南宋から渡来した大覚禅師(蘭渓道隆)が開山した臨済宗の古刹である。織田信長が飯島城を攻めた際に兵火に遭い、弁天堂水月庵を残して七堂伽藍は灰塵と化した。現在の建物は昭和の再建である。春には樹齢推定400年のしだれ桜、秋には紅葉の庭園が有名である。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐NG001

 

東海静岡県愛知県岐阜県三重県

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
浜松市 T‐SZ002 光明寺跡 717年に行基が開創した霊山である。戦国時代には光明城築城のために一時期、移転させられたが、江戸時代に入り再びこの地に再建され発展した。1931年に火災に見舞われ、寺院は本堂一帯を焼失し、現在は石垣が残るのみである。
T‐SZ017 光明寺 光明山の光明寺が1931年に大火に見舞われこの地へと移転した。境内には三満殿,大黒殿,光明殿が並び、背後の山には摩利支天を祀る奥之院がある。摩利支天堂は徳川将軍家代々の祈願所とであり、大黒殿には国内最大の大黒天が安置されている。
T‐SZ003 西来院 1428年、月窓義運禅師が開山した。徳川家康の正室の築山御前の菩提寺としても知られ、境内には廟所である「月窟廟」が建立されている。真偽は定かでないが、築山御前は武田勝頼に内通したとされ、家康の命で殺害された。首は岡崎に運ばれ、胴は西来院に葬られた。
T‐SZ004 清瀧寺 1405年、長安坊がこの地に草庵を構えたのが始まりとされる。1579年には徳川家康の長男・松平信康が織田信長に謀反の疑いをかけられ二俣城で切腹した。ここには信康の胴が葬られている。1581年に家康が寺に参詣した際、清水の湧き出るのを見て寺名を清瀧寺と改めた。
T‐SZ006 方広寺
(奥山半僧坊)
1371年、奥山朝藤を開基とし無文元選を開山として創建された。元選禅師がかつて訪れた中国の天台山方広寺の風景に似ていることから寺名を方広寺とした。火災と復興を繰り返し、現在は七尊菩薩堂,大本堂,半僧坊真殿,開山堂などが建つ。七尊菩薩堂は静岡県で最古の木造建築とされる。
T‐SZ008 秋葉山瑞雲院 工事中
T‐SZ009 宗源院 創建は1416年、在天弘雲和尚が開山したのが始まりとされる。当初より領主との関係が深く室町時代には今川家が庇護し、特に義元は自らが開基となり堂宇を再建し境内の整備を行った。徳川家康も境内前に的場を設けて弓の稽古を行ったとされる。境内には成瀬正義,多世姫らの墓碑がある。
T‐SZ010 西伝寺 1176年に法然上人の弟子の一人である西伝法師が草庵を構えたのが始まりとされる。その後1367年、江戸増上寺の雲誉上人愚廓大和尚を開山とし源宝山西伝寺が開創された。1759年の大火事で黒焦げになったが、奇跡的に芽吹いたイブキは浜松市の天然記念物に指定されている。
T‐SZ011 龍潭寺 寺伝によれば、733年、行基によって開かれたとされ、1093年に井伊共保が葬られた際に自浄寺と改められ井伊氏の菩提寺となったとされる。1560年に桶狭間で戦死した井伊直盛の法号から龍潭寺と改められた。小堀遠州作の庭園は池泉鑑賞式庭園で代表的な寺院庭園である。
T‐SZ013 宝林寺 1664年年に近藤貞用が中国僧の独湛禅師を招いて開創した黄檗宗の寺である。創建当時は七堂伽藍が整い、その建物の多くは鎖国時代にもかかわらず中国明朝風の建築様式であった。仏像は中国様式を伝える黄檗宗独特の諸像である。宝林寺東側の坂の上には金指近藤家墓所がある。
T‐SZ014 摩訶耶寺 726年、行基により開創され、平安末期に一条天皇の勅願により現在の場所へと移った。本尊の厄除正観世音菩薩(秘仏)は袋井の法多山,祝田山の善明寺の観音様と三姉妹観音で、その長女が摩訶耶寺の本尊とされる。池泉舟式蓬莱の庭園は平安時代の趣を残す鎌倉初期の築庭と推定。
T‐SZ015 大福寺 875年に扇山に創建された真言宗の古刹で当初寺号は幡教寺と号した。1209年に当所に再興され、朝廷から大福寺の寺号が下賜された。本尊は45年に一度だけ御開帳する秘仏薬師瑠璃光如来坐像である。大福寺は大福寺納豆でも知られている。
磐田市 T‐SZ001 行興寺 1061年創建とされるが詳細は不明。平宗盛に見初められた熊野御前の旧跡で知られる。一ノ谷の戦いで捕らえられた平重衡が関東へ連行される途中、熊野と歌を交わしたことが語られている。熊野手植えとされる国指定天然記念物の老木と5本の県指定天然記念物の長藤がある。
T‐SZ016 遠江国分寺跡 聖武天皇が741年に発した「国分寺建立の詔」により、国分尼寺とともに当時流行していた疫病や天災,内乱を仏教の力で鎮めることを目的として建立された。国分寺としては全国で初めて建物の配置が明らかとなり、南大門,金堂,講堂が南北に一直線上に並び、西に塔が位置する。

周智郡
森町

T‐SZ012 崇信寺 1401年、飯田城主山内道美如仲天珖を開山として寺領を寄進した。如仲の門下から優れた僧侶が輩出されたが、その一人である石叟円柱が二世となり教線を拡大した。
T‐SZ018 香勝寺 1545年、武藤氏定が草ヶ谷城跡地に宣翁全忠和尚を開山として招請し開いた。1967年には本堂再建に伴う工事で須弥壇真下から武藤氏一族の墓が発見された。また、香勝寺は日本三大「ききょう寺」として有名である。
掛川市 T‐SZ005 撰要寺 1581年、横須賀城を築城した大須賀康高岌屋春阿上人を招いて開山したのが撰要寺の始まりとされる。大須賀氏の菩提寺として庇護され、大須賀康高,忠政の墓碑をはじめ高天神城の武将小笠原家一族や本多利長一族の巨大な墓碑群などがある。
島田市 T‐SZ019 慶寿寺 1353年、今川範氏が創建したとされる真言宗寺院である。今川城の二の郭跡に建てられている。範氏が父・今川範国の遺徳などに感謝して植えた「孝養桜」は、県指定の天然記念物となっている。
静岡市 T‐SZ007 臨済寺 工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
名古屋市 T‐AC024 東本願寺名古屋別院 工事中
T‐AC039 誓願寺 1529年、日秀妙光尼が織田信秀の援助を得て創建した。平安時代末期、源義朝の正室となった由良御前が頼朝を生んだところといわれている。豊臣秀吉の母大政所も参詣したと伝えられる。名古屋空襲では誓願寺本堂,頼朝祠(頼朝誕生地),頼朝公産湯ノ井戸が破壊焼失している。
T‐AC040 圓盛寺 1538年に前田利家が生まれたとされる前田城があった速念寺の北に隣接する。境内には「前田利家卿由緒止址」の碑が建つ。おそらく前田城は速念寺と圓盛寺の地を含んでいたと思われる。
T‐AC041 荒子観音寺 寺伝によれば、729年、泰澄の草創とされ、741年に泰澄の弟子の僧・自性が堂宇を整えたというが定かではない。多宝塔は国重文、本堂は前田利家によって再建された。円空仏の多さでも有名である。
T‐AC042 常泉寺 工事中
T‐AC062 瑞應寺 夢窓疎石が開基となり創建されたという。越中国の豪族であった石黒重行とその一族,子孫に所縁のある寺であり、山門右前には重行を顕彰する石碑が建てられている。戦国時代に石黒重成が七堂伽藍を再建し中興開祖となった。子孫は尾張徳川家の家臣として仕えている。
T‐AC063 桃巌寺 戦国天文年間の終わり頃、織田信行が父・信秀の菩提を弔うために城の南に位置する鳴海荘末森村二本松に建立し、1714年に現在地に移されたとされる。境内には織田信秀,織田信行の墓所がある。開基は織田信秀とされており、開山は快翁玄俊。日本一とも言われる直径1mの木魚などが知られている。
T‐AC067 長福寺 桶狭間の戦いのときに寺があったことは確実である。善空南立上人が中興の開山とされる。18世紀初頭には荒廃し、1740年に観岳上人が堂宇をすべて再築したが、天明年間に火災が起き寺宝を焼失。桶狭間の戦いに関する史跡がある。
T‐AC069 龍泉寺 延暦年間に最澄が創建したとされる。一方、空海も開基とされる。名古屋城の鬼門の方角にあたり名古屋城を鎮護する尾張四観音の一つ。1584年の小牧長久手の戦い時と1906年に放火に遇い、多宝塔,仁王門,鐘楼を除く全てが灰と化したが再建された。
T‐AC075 長命寺 創建時期は定かではないが、この地には元々川村南城が存在しており、江戸時代中期に庄内川治水のために丘陵地を堀割ったとされるため、その後の創建かと考えられる。城主であった水野清忠の墓がある。
T‐AC076 大永寺 山田重忠が小幡に建てた寿昌院がその前身で、1521年に星崎城主の岡田重頼が再興して大永寺と改めた。曹洞宗の寺院である。岡田氏歴代の墓がある。
一宮市 T‐AC028 法蓮寺 山内家の菩提寺で山内盛豊,十郎の墓がある。本尊を日蓮聖人尊定大曼茶羅とし、日蓮宗身廷山久遠寺の直末寺である。1492年、日妙師が諸国を巡歴の途中に当地へ来られ、一宇を建立したことに始まる。
稲沢市 T‐AC027 長光寺 851年、小野篁が陸奥の国に下る途中、地蔵像を安置したのが始まりと伝わる。1161年、平頼盛が病気平癒のお礼に六角堂を寄進している。1336年には足利尊氏が戦勝祈願し、将軍宣下を受けると山門などを奉納して再興した。また、織田信長にとっては若かりし日の遊び場であった。
犬山市 T‐AC034 興禅寺 1174年、梶原景時によって創建された光善寺が始まりとされる。1476年、梶原景綱によって再興されたが、子の梶原景義は織田信長に殉じ、羽黒の梶原氏は滅亡した。寺は1602年に再興され現在に至る。
小牧市 T‐AC033 陶昌院 1564年、上末城主の落合安親が開祖となり創建された曹洞宗の寺院である。
T‐AC066 小松寺 創建は天平勝宝年間、行基が開基であると伝わる。1173年、平重盛が建物を改築し領地を与えたことから小松寺と称するようになった。しかし、承久の乱で焼失以降、約250年間に亘って廃寺となる。文明年間に全慶僧侶によって再興されたが、再び小牧長久手の戦いで羽柴秀吉方によって小松寺砦が築かれ、撤退の際に建物や宝物などが焼かれた。その後、秀吉から領地を与えられて再び再建された。
尾張旭市 T‐AC080 退養寺 1368年、新居村領主であった水野良春が弟の報恩陽を定光寺から招聘して開基となった。その後、幾度も火災に見舞われ、現在の本堂はコンクリート造りである。本堂東側の丘陵に厄除弘法大師像がある。
瀬戸市 T‐AC082 万徳寺 鎌倉時代に親鸞の弟子・海円が加茂郡越戸に万徳寺を建立し、1288年に春日井郡赤津村に帝子堂を再興して万徳寺を起した。境内には1482年に敗死した松原広長の首を祀る松原塚がある。
長久手市 T‐AC023 安昌寺 1573年に雲山和尚により草創され、1585年に丹羽氏次により創建された曹洞宗の寺院である。鐘楼は1770年建造といわれ長久手市では最古の木造建築物とされる。雲山和尚は長久手の戦いでの戦死者を里人達と共に敵味方の別なく屍を集めて埋葬し塚を築いて供養した。
T‐AC064 常照寺 創建時期等は不明であるが、長久手の戦いで戦死した池田恒興,池田之助,森長可の墓とされる「三将之墓所」がある。三将の位牌も本寺にあったようであるが、1958年の火災によって旧本堂とともに焼失したという。
T‐AC065 教圓寺 1584年の長久手の戦いにて徳川家康が色金山から御旗山に移る際、本尊が源家累代の如来だと聞き、この寺に立ち寄り戦勝を祈願したと伝えられる。また、戦いに勝利したことで家康から陣羽織を寄進されたとも伝わる。

愛知郡
東郷町

T‐AC053 祐福寺 1191年、宇都宮頼綱によって創建され、1389年頃には小野田長安加藤時利が達智賢了上人を招いて再興したと伝えられる。室町時代には後小松天皇,後柏原天皇らが勅使を派遣し勅願道場となった。桶狭間の戦いの際には前日に今川義元が宿泊したと伝えられている。
豊明市 T‐AC071 聖應寺 1504年、本郷山聖禅寺として草創され、さらに1559年に簗田広正により久護山慶昌寺と改号された。1568年、別喜右近と平野長安により曹洞宗に改宗され、平野山聖應寺という現在の寺号になった。寺の裏には二重濠がみられる。
大府市 T‐AC087 常福寺 1214年8月15日にこの地で没したとされる平景清が開創し、その菩提寺でもある。位牌と九十六文字の「夢想口授の観音経」の木板、景清が刻んだ観世音菩薩像が安置されている。
刈谷市 T‐AC036 楞厳寺 1403年、利山義聡が現在の地に海会寺を開いた。海会寺には禅師の徳を慕って修行者や信徒が多く集まるようになるようになり境内が狭くなったため、1413年に楞厳寺が建てられた。刈谷城主である水野家の菩提寺となり、水野家廟所がある。
T‐AC072 昌福寺 1408年に永専により創建され、当初は真宗高田派涼清院専坊と称したが、1652年に浄土宗に改宗し寿永山昌福寺と改めた。一時期、野田城として活用された可能性がある。1790年の寛政一揆の発端となった寺参会がここで開かれた。
T‐AC073 教栄寺 1263年、善祐を開基として創建され、当初は寿福山大徳寺と称する天台宗の寺院で野田八幡宮の西に所在していた。天文年間、兵火に遭い焼失したが、1569年に現在の地に教栄寺と改め真宗高田派として再興された。1665年、真宗大谷派に変わっている。

知多郡
東浦町

T‐AC003 乾坤院 1475年、緒川城初代城主の水野貞守によって水野家の菩提寺として建立された。江戸時代には尾張徳川家の庇護を受けた。総門は緒川新城からの移築とされる。境内には水野家四代墓所の墓所がある。

知多郡
阿久比町

T‐AC010 洞雲院 948年、菅原雅規が開基となり洞雲院の前身となる久松寺を創建したと伝わる。1494年には久松定益が曹洞宗の洞雲院として再建した。久松俊勝,於大の方はじめ久松,松平家の墓がある。
東海市 T‐AC068 観福寺 寺伝によれば702年、行基によって開山されたと伝えられるが、その後衰退して1450年に慶山によって復興された。江戸時代に入ると尾張徳川家の帰依を得て中興され本堂が再建された。本尊を安置する宮殿は国重文である。
知多市 T‐AC088 大興寺 創立年は定かではないが、鎌倉時代には存在しており、当時は大福寺という寺号であった。1345年、一色範氏が再興し寺号を大興寺と改めた。1667年に妙心寺派となり現在に至る。「知多のだるま寺」としても知られる。

知多郡
美浜町

T‐AC011 野間大坊 天武天皇の時代に役小角が建立し、聖武天皇の時代に行基により中興されたと伝えられる。野間大坊には源義朝の墓所のほか、鎌田政家,平康頼,織田信孝の墓所がある。境内東寄りに頼朝が造営させたという大門、その正面に本堂があり、境内西寄りに客殿がある。
常滑市 T‐AC079 天澤院 1473年、常滑城主の水野忠綱によって開創された。当初は瀬木の地にあったが、1600年に兵火に遭い堂宇を焼失し、現在地へ移転再建された。水野忠綱夫妻の墓がある。
碧南市 T‐AC007 称名寺 1339年、正阿によって創建された。15世紀前半、世田良有親,親氏父子が来往したという。また、松平信忠は当寺を隠居所としここで逝去した。徳川家康の幼名「竹千代」を勧めた寺でもある。
T‐AC081 妙福寺 仁寿年間に志貴周亮が毘沙門天を祀ったのに始まるという。境内の毘沙門堂に祀られる毘沙門天は三河七福神の一つであり、徳川家康が祈願し、勝運の神として親しまれている。山門は刈谷城の辰巳櫓が移築されている。
安城市 T‐AC015 本證寺 1206年頃、親鸞門侶の慶円により開創された。勝鬘寺,上宮寺とともに三河三ヶ寺と称される。1563年からの三河一向一揆では一揆方の拠点となり兵火に焼かれた。1585年に再興を認められ、1663年までには再興したとされる。鼓楼や水濠を備える。
T‐AC026 明法寺 1235年、親鸞聖人の説法に随喜し聖人の弟子となった和田円善が念仏の道場として創建した。もともとは碧海郡和田荘にあったが大永年間(1521~28年)にこの地に移ったという。
豊田市 T‐AC004 高月院 1367年の創建で松平信重を開基、見誉寛立を開山とするが、疑問が残る。事実上の開山は、中興とされる第7世超誉存牛である。若き日の徳川家康も幾度か訪れている。江戸時代には幕府からさまざまな優遇を受け、保護され続けた。
T‐AC018 香積寺 1427年、白峰祥瑞禅師により開山。飯盛山の足助氏居館跡(飯盛城跡)に建立された曹洞宗の寺院である。総門前には居館当時の土塁跡が残されている。「もみじの開祖」と呼ばれる参栄禅師、画技に卓越した風外禅師が有名である。
T‐AC019 心月院 江戸時代前期に鈴木正三和尚によって創建された。正三は42歳の時に旗本から出家して、執筆活動と布教,寺院の建立や再建に努めた。乱後の天草でも布教活動している。心月院には正三坐像が安置されている。
T‐AC029 隣松寺 843年、仁明天皇が東山親王国長公(恒統親王)の追善のために創建したとされる。室町時代に蓮蔵忠阿上人が玉松山隣松寺として中興開山している。松平広忠が竹千代誕生にあたり成長の無事を祈願したと伝わる稲荷社や細川家三代墓所,内藤清長墓所,松平忠吉墓所がある。
T‐AC035 長松院 1556年、滝脇城3代の松平乗高によって創建された。滝脇松平氏は大給松平氏と所領を争い、初代乗清,2代乗遠,乗遠の長男・正乗の3人が討死した。乗高は3人を葬るために長松院を創建した。
T‐AC038 洞樹院 工事中
T‐AC085 大鷲院 当初は天台宗の古刹であったが、大永年間(1521~26年)に心渓桂賢和尚により曹洞宗の寺院となった。山津波により一時は断絶したが、1602年に心翁英孚大和尚により境内が整備,再興された。「岡崎の猫騒動」でも有名。
岡崎市 T‐AC005 上宮寺 598年、厩戸皇子が一本の霊樹で自らの像を作り、当寺を興隆したとされる。1563年の三河一向一揆で破却された。その後、妙西尼の尽力で1585年には再興が認められた。1996年に銅版屋根で再建された。
T‐AC006 勝鬘寺 1256年、安藤袈裟太郎が父・円善とともに出家して信願房了海と改姓し、1258年に碧海庄赤渋に建立した道場を始まりとする。1496年には水害に見舞われ、現在地へと移った。三河一向一揆では兵火のため消失し、1585年に再興が認められた。
T‐AC008 大樹寺 1475年、井田野の戦いの戦死者供養のために松平親忠が開基となり、勢誉愚底の開山により創建された。桶狭間の戦いで敗れた松平元康が登誉天室の「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説き諭されたことでも有名である。歴代徳川将軍の等身大位牌が収められている。
T‐AC009 長福寺 もとは鳳来寺の末寺として天台宗であったとされたが、1318年に日印が京へ上る途中に立ち寄り法華宗に改宗させたという。1547年6月、大久保忠茂が当寺に葬られて以来、大久保家の菩提寺となった。
T‐AC014 本宗寺 1468年、蓮如上人によって額田郡土呂に創建した。三河一向一揆では一揆方の拠点となり、徳川家康によって破却された。その後、妙西尼の再三の嘆願によって1611年に御坊本宗寺が完成した。
T‐AC016 滝山寺 686年に役小角が吉祥寺という一堂を建てたのに始まるとされる。平安時代に仏泉上人永救が本堂を建て再興。そのころに寺名を滝山寺とした。鎌倉時代初期に源頼朝の従兄弟にあたる寛伝上人が住職となったことで鎌倉幕府の庇護を受けた。聖観音菩薩及び両脇侍像は、頼朝追善のため仏師運慶,湛慶父子に作らせたもので像内に頼朝の鬚と歯が納入されている。
T‐AC030 信光明寺 1451年、岩津城主の松平信光釋誉存冏を開山として創建した。1478年に法堂(観音堂)を建立。この堂は浄土宗寺院の本堂としては最古のものとされる。武田信玄の三河国侵入の際に法堂の外は焼失したが、のちに徳川家康の命で再建された。境内には松平親氏,松平泰親,松平信光3代の墓がある。
T‐AC031 萬松寺 1440年、松平信光に夢のお告げがあり曹洞宗の龍沢和尚に請願して創建したとされる。本尊の釈迦如来は秘仏とされ、衆人の前で開門すると雨を呼ぶという伝説がある。現在、本堂は近代風な建物に建て替えられている。
T‐AC032 満性寺 1289年、了専と弟・親重が三河国に赴き満性寺と号したのが始まりとされる。1342年には足利尊氏により伽藍、1497年には松平親忠が太子堂を建立した。現在の本堂,太子堂,鐘楼門は江戸時代に再建されたものである。
T‐AC054 法蔵寺 701年に行基が観音菩薩像を安置し出生寺を創建したとある。1385年、教空龍芸により浄土宗として二村山法蔵寺と改称した。その後、松平親氏が伽藍を建立して松平家の菩提寺とした。徳川家康の竹千代時代には教翁洞恵上人に就いて読書きを習ったとされる。シーボルトが参拝した記録もある。
T‐AC055 妙源寺 1235年、親鸞が関東より帰郷する途中に当地に立ち寄り、その教えに感化された安藤信平が、1258年に明眼寺を建立。のちに徳川家康が「源」の一字を与え妙源寺と改称された。柳堂は重文である。裏には安藤直次墓所はじめ多くの武士の墓がある。
T‐AC056 観音寺 726年に行基によって開創され、当時は正福寺と称した。鎌倉時代に当地の目代半澤六郎によって再興された。永正年間になると能見城主の松平光親が堂宇を再建して見松山観音寺と改称した。墓地には、初代能見松平光親,2代重親,3代重吉の墓などがある。
T‐AC057 広忠寺 1541年、於大の方が松平広忠に輿入れの際、広忠の側室・於久の方は勘六(忠政)を連れ桑谷村へと移り、翌年に二男恵最を産んだ。今川義元から独立た松平元康はこの母子を訪れて父・広忠の菩提を弔うために本寺を建立した。境内には松平広忠,於久の方,松平忠政の墓がある。
T‐AC058 阿弥陀寺 行基によって現在地より西に創建された大金谷山西福院が始まりとされる。1394年に雨譽洞春を開基として応声山阿弥陀寺と改称、戦国時代以降は麻生松平家の菩提寺となった。火災によりこの地に移され再建されたという。寺の東側には麻生松平家の4代目松平正忠の墓所がある。
T‐AC059 広祥院 1339年に足利尊氏の命令で高師氏が建立したのが始まりとされる。当初は深恩院總持寺と号し、南北朝時代に深恩院と總持寺は分離され、深恩院はやがて廃退した。1478年、奥平貞昌が深恩院の跡地に伽藍を建立して曹洞宗の寺として再建した。裏手には奥平貞昌をはじめとする奥平一族の墓所がある。
T‐AC060 天恩寺 矢作川の戦いに敗れ逃れてきた足利尊氏が本尊延命地蔵尊に戦勝祈願し、勝利したら寺院を築くことを誓った。その遺言を託された足利義満により1362年に寂室元光を開山として建立された。戦国時代に入り奥平氏の庇護を受けて再興された。長篠の戦いに向かう徳川家康がここで一泊している。
T‐AC061 松明院 1368年、加茂郡大給城山に小さな仏堂が建てられ、1510年に松平乗元がこれを再建して松明院と改称した。開山は乗元の弟で隣翁本公大和尚と伝えられている。1580年に大給松平真乗が現在の地へ移転させた。境内には大給松平家の墓所がある。
T‐AC074 龍海院 1530年、模外惟俊を開山として松平清康が創建した。「是之字寺」とも呼ばれている。後に酒井正親家の菩提寺となった。一時破却されたが、1601年に本多康重によって再建された。1971年には全天光照明の三角屋根の本堂が完成した
T‐AC077 隨念寺 1562年、徳川家康が大樹寺15世黁誉魯聞を開山として創建した。松平清康と清康の妹・久子(於久)の菩提寺である。本堂は徳川秀忠によって再建されたもので、旧三河国内最古の浄土宗本堂建築とされる。
T‐AC078 大林寺 1493年、岡崎城主であった西郷信貞が天盈良倪を開山として明大寺に創建し、当初は光林寺と称した。1530年になり、松平清康が現在地に移設させた。境内には、松平清康,清康夫人春姫,松平広忠の墓のほか、西郷頼嗣,信貞の墓がある。
西尾市 T‐AC002 金蓮寺 1186年に源頼朝が三河国守護の安達盛長に命じて建立した三河七御堂の一つと伝えられる。阿弥陀堂は鎌倉時代の建築で県下最古の木造建築物で国宝に指定された。1340年、足利尊氏が現在の場所に移し青蓮山金蓮寺と号したという。
T‐AC020 華蔵寺 1600年、吉良義定が旗本として吉良家を再興した際に父・義安の菩提を弔うために創建。1700年、吉良義央は経蔵を寄進し鉄眼版一切経を納めている。境内には義央はじめ西条吉良家墓所がある。
T‐AC021 花岳寺 1347年、東条吉良氏の菩提寺として創建された。佛海禅師が入寺開山され、吉良尊義が塔頭霊源寺を開基した。本堂は1684年に再建されたもので禅宗の典型的な形式を伝える建築である。
T‐AC022 圓融寺 1525年、長宮院日詮によって開創、または中興されたとされる。境内の観音堂は吉良義冬の男児出生の祈願所となったと伝えられている。寺院裏手には赤穂事件の際に討死した清水一学の墓所がある。
T‐AC083 長圓寺 永安寺を前身とし1603年に板倉勝重が再建し長圓寺と改めた。1630年、板倉重宗が父の7回忌の際に現地に移した。勝重の霊廟である肖影堂や板倉家代々の墓などが数多く並ぶ。
T‐AC084 盛巌寺 松平家乗が上野国那波郡に父祖の菩提寺として建立し、大給松平氏(宗家)の転封に伴って領内に移り、1764年、乗佑が西尾城主となるとともに当地に移った。松平乗全夫妻の墓所がある。
T‐AC086 実相寺 1271年、吉良満氏が吉良氏の菩提寺として東福寺から円爾を迎えて創建した。1560年、織田信長の兵火によって多くの堂宇が焼失。釈迦堂,釈迦三尊像,八葉宝鐸型梵鐘は県指定文化財である。

額田郡
幸田町

T‐AC013 本光寺 1523年に深溝松平家の初代当主・松平忠定によって開基された深溝松平家の菩提寺である。希聲英音によって開山されたとされる。西御廟所と東御廟所には初代から19代の墓が並ぶ。
T‐AC025 三光院 深溝城主の松平忠定の妻である松平親長娘を開基とする浄土宗の寺院である。
T‐AC070 正楽寺 西郷氏の菩提寺で西郷稠頼,高力清長の墓がある。1563年からの三河一向一揆で松平元康と対立したために一揆終息後に廃寺となった。その後、大草城跡に再興された。
蒲郡市 T‐AC017 長泉寺 神亀年間(724~729年)、行基が民のために井戸を掘り、観音像を祀った庵を結んだのが始まりとされる。1191年、三河国の初代守護代に安達盛長が命じられ長泉寺を再建,整備した。五井松平氏の菩提寺である。
豊橋市 T‐AC046 普門寺 727年、行基,によって開山されたと伝わる。化積上人によって中興され、鎌倉時代には、一部は遠江に及ぶ広大な寺領を有していた。1603年には龍祐によって再中興され仁王門,本堂など今日につながる基本的な寺観が整えられた。
T‐AC051 普門寺旧境内遺跡 727年、行基によって開山されたと伝わる。当初は現在の普門寺の後方の山々全体が寺域であった。古代の普門寺は3000余りの坊舎を抱えて繁栄した。船形山山腹の元々堂址,元堂址はともに平安時代後期に整備が行われ、現在も本堂跡の基壇が残されている。
T‐AC048 正宗寺 永仁年間)に宋からの僧・日顔禅師によって創建されたと伝わる。境内には鐘楼,本堂,客殿,庫裏が建ち、五本松城の西郷氏の菩提寺でもある。別名「蘆雪寺」とも呼ばれ、長澤蘆雪はじめ、狩野元信,狩野正信,円山応挙らの襖絵が所蔵されている。
T‐AC052 太平寺 嘉応年間に真言宗寺院として創設され、その後、延元年間に峰翁祖一が臨済宗に改めて再興した。渥美半島への街道の要衝という重要な位置にあったため、戸田氏,今川氏,徳川氏の戦国武将から篤く保護された。樹齢300年以上のイチョウが参道に聳え立つ。
豊川市 T‐AC044 三河国分寺跡 聖武天皇が741年に発した「国分寺建立の詔」により、国分尼寺とともに当時流行していた疫病や天災,内乱を仏教の力で鎮めることを目的として建立された。寺域は180m四方で築地塀に囲まれ、その東寄りに南大門,金堂,講堂が南北に一直線上に並び、西寄りに塔が位置する国分寺式伽藍配置である。
T‐AC045 三河国分尼寺跡 三河国分寺跡の北東500mに位置する。741年に発せられた聖武天皇の「国分寺建立の詔」で創建された国分尼寺の遺構に比定される。寺域は約150m四方で主要伽藍として南大門,中門,金堂,講堂,尼房および北方建物が南から一直線に配されるが、塔は存在しない。
T‐AC047 西明寺 平安時代に姫ヶ城城主の大江定基が愛妾の力寿姫の冥福を祈り庵を営んだのが始まりとされる。鎌倉時代にこの地を訪れた北条時頼(最明寺入道)に因み最明寺と改称、さらに徳川家康が西方浄土に因んで最を西と改め西明寺となった。ドイツ帝国の医師エルヴィン・フォン・ベルツ博士の供養塔がある。
新城市 T‐AC001 医王寺 室町時代の僧・琴室契音によって大洞山泉龍院の末寺として開創されたという。1514年には小庵は立派な伽藍の寺院に生まれ変わった。開山当時から菅沼一門の厚い庇護を受けた。1575年の長篠の戦いの際には武田勝頼の本陣が置かれ、軍議にて織田徳川連合軍との決戦が採択された。
T‐AC012 鳳来寺 工事中
T‐AC043 冨賀寺 701年に行基が本尊十一面観音像を彫り、小寺を建てたのを創始という。平安時代には藤原忠平が本堂,護摩堂,三重塔,大門など12坊舎を造り、足利尊氏は本堂,中堂など18坊舎を造営した。1530年には松平清康が宇利城攻撃の際に本陣を置いた。
T‐AC049 勝楽寺 室町時代に遵慶律師により真言宗の一宇として開創された。1470年には、玄済和尚により中興された。玄賀和尚は周辺諸城を徳川家康の麾下に入るよう説得し家康の遠州進出を助けている。寺の南方は長篠設楽原の戦いの決戦の口火となった地である。また、幕末の外交官・岩瀬忠震の顕彰碑がある。
T‐AC037 善福寺 飛鳥時代の開山という作手最古の名刹で仁王門の金剛力士像は運慶の作と伝えられている。境内には生還の桜と呼ばれるサクラや市指定天然記念物のボダイジュの木がある。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定

本巣郡
北方町

T‐GF001 円鏡寺 811年、嵯峨天皇の勅願により空海が創建した真言宗の古刹である。境内に池を造った際に明鏡が出土し献上したことより、一条天皇より池鏡山円鏡寺の名を授かる。戦国時代以降には織田信長,豊臣秀吉,徳川家康などの歴代権力者からの庇護を受けている。数多くの文化財を所有し「美濃の正倉院」とも呼ばれている。
瑞浪市 T‐GF002 興徳寺 1601年、小里光親が父・小里光明の菩提を弔うために当林和尚を招いて創建した。その後、小里氏の滅亡により檀越を失い寺運が傾くが、1634年に全源宗耽が当寺の住持となり中興している。1696年の伽藍焼失後、1704年に再建を果たした。
恵那市 T‐GF005 龍護寺 1596年、遠山利景が椽室和尚を開山として明知遠山一族の菩提寺を建立しした。寺宝として「九条衣」という明智光秀の直垂の布が縫い込まれた袈裟を所蔵する。境内には明知遠山氏累代の墓,明智光秀御霊廟などがある。
多治見市 T‐GF003 元昌寺 1584年、森長可に仕えた若尾元昌は山麓に若尾氏の菩提寺として建てた。開山は絶同和尚であるとされる。境内には三基の宝篋印塔があり、若尾氏の先祖の墓にあたると伝えられている。
可児市 T‐GF004 天龍寺 明智城跡の山麓にある曹洞宗の寺院である。伝龍寺という廃寺の後に1625年に鰲山正雪を招請し開山された。往時には本堂,開山堂,明王堂,鐘楼門などを有する一大伽藍の寺であったが、1923年3月に焼失した。明智一族の菩提寺とされ、明智一族歴代墓所と日本一大きい(約185cm)とされる明智光秀の位牌が祀られている。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
津市 T‐ME001 四天王寺 飛鳥時代に推古天皇の勅願により厩戸皇子が建立した四天王寺4ヶ所の一つという伝承がある。このほかにも国分寺説や弘仁期以前建立説など諸説ある。兵乱,空襲によって多くの堂宇を焼失した。
松阪市 T‐ME002 浄眼寺 1478年、伊勢国司の北畠政郷が阿坂城のある桝形山の麓に僧大空玄虎を招いて建立した。北畠氏の菩提寺である。北畠氏はここを居館とし阿坂城を詰めの城とした。のちに織田信長の兵火にかかり広壮な堂宇を焼失した。
T‐ME003 願証寺 工事中
T‐ME005 神山一乗寺 寺伝では、厩戸皇子が伊勢神宮への参拝の際にこの地で自ら6尺1寸の薬師如来座像を刻み創建したと伝えられているが、定かではない。1343年の神山城の戦いで仁木義長らの攻撃で焼失した。現在の建物は1836年に再建されたものである。
桑名市 T‐ME004 照源寺 工事中

 

北陸(福井県・石川県・富山県)

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
坂井市 T‐FU001

称念寺
〔新田義貞墓所〕

工事中
T‐FU003

本光院
〔本多氏墓所〕

工事中

三方郡
美浜町

T‐FU002 芳春禅寺 工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐IK001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐TY001

 

近畿滋賀県京都府奈良県和歌山県大阪府兵庫県

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
大津市 T‐SG001 満月寺浮御堂 大徳寺に属する海門山満月寺のお堂で琵琶湖に伸びる橋の先に建つ宝形造の仏殿である。恵心僧都源信が魚類殺生供養のための阿弥陀仏像と1000体の阿弥陀仏像を奉安して浮御堂を創建したという。衆生済度と湖上通船の安全を発願した。
T‐SG002 義仲寺 工事中
T‐SG007 崇福寺跡 668年に天智天皇の命により大津京の鎮護のために大津宮の北西の山中に建立された。飛鳥時代後期から室町時代にかけて存在した寺院の遺跡。
T‐SG010 園城寺(三井寺) 大友皇子の子の大友与多王が父の菩提のために天智天皇所持の弥勒菩薩像を本尊とし寺を建立した。度重なる苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから、園城寺は「不死鳥の寺」と称されている。
T‐SG012 石山寺 工事中
T‐SG016 滋賀院門跡

1615年、天海大僧正が後陽成天皇から京都法勝寺の建物を下賜されてこの地に建立した寺である。1655年には後水尾天皇から滋賀院の名を下賜された。1878年の火災により焼失し、比叡山無動寺谷法曼院の建物3棟が移されて再建された。

T‐SG020 西教寺 草創は定かでないが、鎌倉時代末期に円観が再興したことは史実である。坂本城と近く明智光秀との関係も深く、境内には明智光秀一族の墓が建てられている。

愛知郡
愛荘町

T‐SG003 金剛輪寺 工事中
長浜市 T‐SG021 大通寺 1602年に教如を開基として長浜城内に創建され、長浜御堂と呼ばれた。本堂と書院造りの大広間は、伏見城の建物を徳川家康から寄進されたもの。含山軒庭園,蘭亭庭園は国の名勝。

犬上郡
甲良町

T‐SG004 西明寺(竜応寺) 工事中
T‐SG006 勝楽寺 1341年、佐々木道誉が雲海禅師を開山として建てた道誉の菩提寺である。1568年には織田信長の兵火で焼き払われたが、井伊家により正保年間(1644〜48年)に再興された。本尊の大日如来像と道誉画像は国の重要文化財である。

蒲生郡
日野町

T‐SG005

信楽院
〔蒲生氏郷墓所〕

工事中
米原市 T‐SG008

清滝寺
〔京極氏墓所〕

工事中
T‐SG011 蓮華寺
〔北条仲時一行墓所〕
厩戸皇子によって開かれた寺とされ、1284年に鎌刃城主の土肥元頼が寺を再建し八葉山蓮華寺と号した。1333年には六波羅探題北方の北条仲時が鎌倉幕府討幕軍に行く手を塞がれ、本堂前で一族郎党432名とともに自刃した。
東近江市 T‐SG009 百済寺 工事中
近江八幡市 T‐SG013 観音正寺 創建時期は不明であるが、平安時代中期には既に存在し、1333年に六波羅探題の北条仲時が東国に下ろうとした際には現本堂が後伏見上皇,花園上皇及び光厳天皇の宿舎に充てられた。六角高頼が観音寺城を居城として以来、寺はその庇護を得て大いに栄えた。
T‐SG017 総見寺跡 1567年の安土城築城に伴い織田信長によって城郭内に建立された。近隣の社寺から二王門,三重塔など多くの建物を移築している。
甲賀市 T‐SG014 甲賀寺跡 聖武天皇は近江国甲賀郡紫香楽村での離宮の造営を命じ、743年に盧舎那仏像を安置するための寺地を開いており、これが甲賀寺にあたる。しかし大仏造立は東大寺に継承された。
野洲市 T‐SG015 妓王寺 平清盛に妓王井と名づけられたと水路を造らせた妓王の功績と菩提を弔うために建てられた寺である。
彦根市 T‐SG018 清凉寺
〔井伊家菩提寺〕
1602年の井伊直政の死去により、その墓所として井伊直孝が創建した。井伊家の菩提寺となる。
T‐SG019 龍潭寺 1600年に井伊直政が佐和山城に転封となると、遠江国龍潭寺の昊天宗建禅師を当地に招いて遠江国から分寺して建立した。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
京都市 T‐KT003 祇王寺 工事中
T‐KT004 鞍馬寺 工事中
T‐KT005 高山寺 工事中
T‐KT006 光明寺 工事中
T‐KT007 三千院 工事中
T‐KT008 寂光院 工事中
T‐KT010 神護寺 工事中
T‐KT011a 醍醐寺(上醍醐) 工事中
T‐KT011b 醍醐寺(下醍醐) 工事中
T‐KT011c 三宝院 工事中
T‐KT012

滝口寺
(往生院三宝寺)

工事中
T‐KT013 天龍寺 工事中
T‐KT015 二尊院 工事中
T‐KT017 法住寺殿 工事中
T‐KT018

 蓮華王院

(三十三間堂)

元々は後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて1165年に完成したのが蓮華王院本堂としての三十三間堂である。
T‐KT019 六波羅蜜寺 951年に空也上人が十一面観音を本尊とする道場を創建したのが始まりという。977年に中信が中興して六波羅蜜寺と改称した。平安時代末期には平家の活動拠点となるが、都落ちで諸堂は炎上した。1363年に本堂が再建。空也上人像,平清盛像などを有する。
T‐KT020 龍安寺 工事中
T‐KT021 等持院 工事中
T‐KT022 金閣寺(鹿苑寺) 工事中
T‐KT023

仁和寺
〔旧御室御所〕

工事中
T‐KT024 東福寺 1236年に摂政の九条道家が高さ5丈(約15m)の釈迦如来像を安置する大寺院を建立することを発願し、奈良の東大寺と興福寺の二大寺から1字ずつ取って東福寺を寺名とした。
T‐KT025 勧修寺 900年、醍醐天皇が生母・藤原胤子の追善のために宮道弥益の邸宅跡を寺に改め、右大臣・藤原定方に命じて造立させたという。開山は承俊律師。代々、法親王が入寺する宮門跡寺院として栄えた。
T‐KT026 智積院 工事中
T‐KT027 清閑寺
T‐KT028 隨心院 991年、小野氏邸宅の隣に仁海僧正が牛皮山曼荼羅寺を創建したのが始まりとされる。第5世住持の増俊のとき曼荼羅寺の塔頭の一つとして隨心院が建てられた。小野小町ゆかりの寺としても知られる。
T‐KT029 知恩院 工事中
T‐KT030 南禅寺 工事中
T‐KT031 金地院 工事中
T‐KT032 高台寺 1606年、豊臣秀吉の正室の北政所が徳川家康の支援を受け秀吉の菩提を弔うため、弓箴善彊を開山として建立した。創建時の建造物は、開山堂,霊屋,茶室の傘亭と時雨亭だけである。
T‐KT033 清水寺 工事中
T‐KT034 法観寺(八坂の塔) 工事中
T‐KT035 青蓮院 工事中
T‐KT036 相国寺 足利義満の発願で1392年に竣工された。開山は夢窓疎石。度重なる火災や兵火で焼失,復興を繰り返し現存する法堂は豊臣秀頼によって建立されたものである。法堂,浴室,塔頭9か寺以外は文化年間(1804~18年)の再建である。
T‐KT037 百万遍知恩寺 平安時代前期に円仁が創建したとされる。源智法然の御影を安置して法然を勧請開山第1世とし、如空のとき功徳院知恩寺と称した。1331年の善阿空円のとき、念仏百万遍を行い京都に蔓延した疫病を収めたことから「百万遍」の号が下賜された。火災や兵火で焼失,復興を繰り返し現在に至る。
T‐KT038 大徳寺 1319年に宗峰妙超赤松円心の帰依を受け小堂を建立したのが大徳寺の起源という。一休宗純の輩出により茶の湯とも縁が深くなり、千利休,小堀遠州などが大徳寺と関係をもつようになる。三門の上に千利休の木造を祀ったことが豊臣秀吉を憤慨させ、利休の切腹につながったともいわれている。
T‐KT039 源光庵 1346年、大徳寺2世の徹翁義亨国師の開創とされる。1694年、卍山道白禅師のとき曹洞宗に改宗、本堂が創建された。本堂の天井板は血天井となっている。迷いの窓,悟りの窓も有名である。
T‐KT040 光悦寺 1615年、本阿弥光悦が草庵を結び、法華題目堂を建てたのが始まりとされる。境内には7つの茶室が散在する。光悦垣と呼ばれる独特の垣根がある。
T‐KT041 法界寺(日野薬師) 1051年、日野資業が薬師如来を安置する堂を建てたのが始まりとされる。別の伝えでは、822年に藤原家宗が最澄自作の薬師像を本尊とし最澄を開山として一族の氏寺を建てたとする。阿弥陀如来坐像(国宝)を有する。
T‐KT042 日野誕生院 親鸞は1173年、日野家に生まれている。日野誕生院は西本願寺広如が1828年に親鸞生誕地に有範堂を建立したことに始まる。1931年に本堂が建てられた。法界寺の横手に産湯の井戸,ゑな塚が残る。
T‐KT043 金剛王院(一言寺) 平安時代後期、藤原通憲(信西)の娘の阿波内侍の開基により創建されたと伝えられる。1874年に醍醐寺の塔頭である金剛王院が移されて復興された。真言宗醍醐派の別格本山である。
T‐KT044 泉涌寺 伝承には、856年の藤原緒嗣による草創と天長年間(824~834年)に空海が法輪寺を草創したという説がある。1226年、月輪大師俊芿によって再興された。皇室の菩提寺でもあり月輪陵には多くの天皇が眠る。
T‐KT045 建仁寺 1202年、鎌倉幕府2代将軍の源頼家を開基、日本に臨済宗を正式に伝えたとされる栄西を開山として建立された。1259年、宋僧の蘭渓道隆が入寺し臨済禅道場となりこの頃から純粋禅の寺院となる。国宝「風神雷神図」を有する。
T‐KT046 方広寺 豊臣秀吉は松永久秀の焼き討ちにより焼損した東大寺大仏に代わる大仏を造立したが、慶長伏見地震により倒壊。1612年には大仏殿と大仏が完成し、2年後に梵鐘も完成するが、鐘名問題が最終的には大坂の陣の誘因となってしまう。
T‐KT047 六道珍皇寺 延暦年間(782~805年)に慶俊によって創建されたとされる。付近は平安京の火葬地の入口にあたり、現世と他界の境と考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。小野篁の冥府通いの伝説が残る。
T‐KT048 真正極楽寺(真如堂) 984年、戒算の夢告によって延暦寺常行堂の本尊・阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子の離宮に安置したのが始まりとされる。992年に本堂が創建された。その後も焼失,移転,再建を繰り返し、1693年に現在地に再建された。
T‐KT049 慈照寺(銀閣寺) 室町幕府8代将軍・足利義政により造営開始から8年後の1490年2月に完成(義政は前月に死去)。戦国時代には一時期、前関白の近衛前久の別荘となった。現存する当時の建物は銀閣と東求堂のみである(ともに国宝)。
T‐KT050 金戒光明寺 1175年春、法然がこの地に草庵を結んだのが始まりとされる。熊谷直実が出家した寺でもある。第5世恵顗の時に堂を整え、第8世運空のとき金戒光明寺と呼ぶようになった。1862年には、会津藩主・松平容保の本陣が置き京都の守備にあたった。
T‐KT051 法然院 鎌倉時代に法然が弟子たちと共に六時礼讃行を修した草庵が始まりとされる。1680年、萬無が法然ゆかりの地に念仏道場を建てることを発願し、門弟の忍澂と共に再興した。
T‐KT052 永観堂(禅林寺) 853年、真紹僧都が真言宗の道場の建立を志し寺院創建を企て、863年に清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜る。中興の祖とされる永観律師の時に念仏の寺へと変わる。本尊は阿弥陀如来(みかえり阿弥陀)。
T‐KT053 霊鑑寺 1654年、後水尾天皇が皇女・多利宮を開基として創建した門跡尼寺である。創建以来、明治まで代々皇女や皇孫女が入山在院した。本堂は江戸幕府11代将軍・徳川家斉が寄進したものである。「椿の寺」としても知られている。
T‐KT054 詩仙堂(丈山寺) 1641年、石川丈山が隠居のため、59歳の時に造営した山荘である。後に寺院化され、丈山にちなんで寺号は丈山寺とされた。「凹凸窠」は詩仙堂と呼ばれ漢,晋,唐,宋の各時代から選出した三十六詩仙の肖像画が詩仙の間壁に掲げられている。
T‐KT055 曼殊院門跡 最澄が比叡山上に営んだ一坊がその起源とされる。是算国師のとき比叡山西塔北谷に移り、北山,洛中へと移転し、1495年頃、宮門跡としての地位が確立した。1656年、良尚法親王のとき現在地に移る。「小さな桂離宮」とも呼ばれている。
T‐KT056 安楽寺 鎌倉時代のはじめ、住蓮安楽が専修念仏の道場として結んだ鹿ケ谷草庵が始まりとされる。後鳥羽上皇の女官・松虫姫鈴虫姫が剃髪,出家したことで上皇が激怒し両僧は処刑される。その後、法然が両僧の菩提所として再建し「住蓮山安楽寺」と名付けた。
T‐KT057 妙法院門跡 工事中
T‐KT058 圓光寺 1601年、徳川家康が足利学校庠主(学頭)であった閑室元佶を招き、伏見城下に学問所を開いたのが始まりとされる。家康から与えられた木活字を用いて、儒学・兵法関連の書物が刊行された。1667年に現在地に移された。
宇治市 T‐KT016 平等院 工事中
木津川市 T‐KT001

安福寺
〔平重衡墓所〕

平重衡と縁の深い寺である。1185年、重衡が木津川の河原で処刑されるとき古堂から運び出した阿弥陀像の前で斬首されたという。古堂はいつしか哀堂と呼ばれるようになり安福寺の前身となった。平重衡の墓がある。
T‐KT009 浄瑠璃寺(九体寺) 1047年、義明上人により本堂が建立され、檀那は阿知山大夫重頼とされる。1107年、本尊の薬師如来を新本堂に移し、1157年には西堂を池の西岸に移築したという。池を中心に、東方に薬師如来(三重塔)、西方に阿弥陀如来(本堂)を配する。

相楽郡
笠置町

T‐KT014 笠置寺 標高289mの笠置山を境内とする。創建については定かではないが、682年、大海人皇子の創建とあり、弥勒磨崖仏造立が始まりとされる。良弁,実忠,貞慶らが住した。1331年には後醍醐天皇の行在所となる。山門奥の修行場には巨岩が点在し、本尊の弥勒磨崖仏,石造十三重塔,虚空蔵菩薩磨崖仏などがある。
長岡京市 T‐KT002 乙訓寺 奈良時代の創建と推定されている。長岡京を造営した際には都の地鎮として大規模に増築されている。藤原種継暗殺事件で嫌疑をかけられた早良親王幽閉の場所でもある。現在は「牡丹の寺」の名所。

 

No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
奈良市 T‐NR005 元興寺 工事中
T‐NR007 興福寺 工事中
T‐NR008 西大寺 764年、孝謙上皇が恵美押勝の乱平定を祈願して金銅四天王像の造立を発願し、翌年に常騰を開山として創建された。境内には本堂,愛染堂,四王堂などが建ち、本堂前には東塔跡の基壇と礎石が残る。
T‐NR016

唐招提寺
(建初律寺)

工事中
T‐NR017a

東大寺
(大仏殿)

工事中
T‐NR017b

東大寺
(二月堂,三月堂他)

工事中
T‐NR020 般若寺 創建については629年の高句麗僧・慧灌,654年の蘇我日向臣,聖武天皇との説もあるが確固たる史料はない。1180年、平重衡による南都焼き討ちの際には東大寺,興福寺などとともに般若寺も焼け落ち、鎌倉時代に入って再興され、十三重石塔は良恵らによって建立され、1253年頃までに完成した。
T‐NR024 芳徳寺 1638年、柳生藩主の柳生宗矩が開基、沢庵宗彭を開山として創建された。宗矩の死後、末子の列堂義仙が第一世住持となっている。廃藩後は荒廃したが、大正時代に柳生基夫,橋本定芳によって再興された。
T‐NR027 法華寺 745年、藤原不比等の邸宅跡を娘の光明皇后が相続して国分尼寺としたのが始まりである。平安京遷都以後は次第に衰微したが、鎌倉時代に重源,叡尊によって復興がなされた。国宝の十一面観音像を本尊とする。
T‐NR030 薬師寺 工事中
T‐NR033 大安寺 工事中
T‐NR035 新薬師寺 8世紀の奈良時代に光明皇后または聖武天皇によって創建された。創建時は金堂,東西両塔などの七堂伽藍が建ち並ぶ大寺院であったが、次第に衰退した。本堂や薬師如来坐像,十二神将像が国宝に指定されている。
T‐NR039 念佛寺 745年、行基が開山したという。境内には1349年の銘がある地蔵坐像石仏がある。
T‐NR040 不退寺 809年、平城天皇がこの地に隠棲し萱の御所と称する屋敷を創建した。その後、阿保親王,在原業平が暮らした。業平のとき847年に寺に改め「不退転法輪寺」と号したのが始まりとされる。1181年には南都焼討で諸堂が炎上したが、鎌倉時代になって西大寺の興正菩薩叡尊によって再興された。
天理市 T‐NR015 長岳寺 824年、空海が大和神社の神宮寺として創建したという。応仁の乱や1502年の兵火によって衰退したが、1602年に徳川家康の支援によって復興された。楼門(重文)は、かつては上層に梵鐘が吊られていたために鐘楼門と呼ばれ、日本最古の鐘門である。
T‐NR038 内山永久寺跡 平安時代永久年間に鳥羽天皇の勅願により興福寺の頼実が創建し、尋範に引き継がれて堂宇の整備が進められた。三方を山に囲まれていることから内山という。現在は当寺敷地の大半は農地となり、本堂池と萱御所跡の碑が山の辺の道沿いに残るのみである。
橿原市 T‐NR029 本薬師寺跡 工事中
T‐NR045 妙法寺 735年、遣唐使として派遣された吉備真備が無事に帰国できたことに感謝し、善覚律師に命じて観音堂を創建させたことが始まりとされる。本尊の十一面観音菩薩は蜘蛛観音とも呼ばれている。
桜井市 T‐NR002 安倍文殊院 安倍倉梯麻呂が645年に安倍氏の氏寺として安倍山崇敬寺(安倍寺)を建立したのが始まりである。本尊は文殊菩薩で日本三文殊に数えられる。平安時代末期に多武峰の談山神社僧兵に、1563年には松永久秀の軍勢に焼かれ衰微したが、1665年に元安倍寺満願寺の本堂・文殊堂が再建され復興される。
T‐NR003 山田寺跡 蘇我倉山田石川麻呂によって創建され、643年に金堂が完成した。649年、蘇我日向によって石川麻呂の中大兄皇子暗殺計画が密告され、石川麻呂は造営中の本寺へ入り妻子8人とともに仏殿で自害した。その後、持統天皇たちの尽力で塔,講堂が建立された。
T‐NR019 長谷寺 工事中
T‐NR022 平等寺 581年に厩戸皇子が賊徒平定を三輪明神に祈願し、平定後、十一面観音を彫り大三輪寺を建立したのが始まりとされ、鎌倉時代初期に慶円上人が中興した。1600年の関ヶ原の戦いの際、島津義弘以下13名が平等寺に落ちのびた。以後、幕末までの300年間、島津家は平等寺を大事にした。
T‐NR042 聖林寺 712年に多武峰妙楽寺(現在の談山神社)の別院として藤原鎌足の長子・定慧が創建し、江戸時代には性亮玄心が三輪山平等寺の遍照院を移して再興したと伝えられる。明治の神仏分離令の際に大御輪寺本尊の国宝・木心乾漆十一面観音立像が聖林寺に移された。
T‐NR043 安倍寺跡 安倍倉梯麻呂の氏寺として645年に創建されたと伝えられる。当時は安倍山崇敬寺と称した。伽藍の配置は西に塔、東に金堂、北に講堂を置く法隆寺式で、回廊は講堂に取り付くとみられる。
T‐NR046 吉備池廃寺跡 吉備池南にかけて大規模伽藍の存在が確認され、639年に舒明天皇によって建立された百済大寺の遺構に比定する説が確実視されている。伽藍は法隆寺式伽藍配置で、金堂,九重塔,中門,回廊,僧房の遺構が検出さている。

高市郡
明日香村

T‐NR001 飛鳥寺
(法興寺,安居院)
587年に蘇我馬子が建立を発願したものである。馬子は排仏派の物部守屋と対立し勝利を祈念して飛鳥の地に寺を建てることにしたという。本尊の釈迦三尊像(鞍作止利の作)は造立発願605年,完成609年とされる。
T‐NR004

川原寺跡
〔飛鳥川原宮〕

673年以前の創建は明らかで天智天皇が母の斉明天皇(皇極天皇重祚)が営んだ川原宮の跡地に創建したとする説が有力となっている。飛鳥寺,薬師寺,大官大寺と並び、飛鳥の四大寺の1つに数えられたが、中世以降衰微し廃寺となった。
T‐NR006 紀寺跡 紀氏の氏寺で創建時期は藤原京造営以前の600年代後半と考えられ、平城遷都とともに平城京へ移転した。現在は金堂の土壇跡が見られる程度で一面の草原である。南大門,中門,金堂,講堂と一直線に並ぶ四天王寺式の伽藍配置を成しており、金堂の南東に塔跡が見られる。
T‐NR009 坂田寺跡 522年に渡来した司馬達止が造った坂田原の草堂に由来する。鞍作多須奈またはその子・鞍作鳥が造営したといわれている。飛鳥寺と並ぶ最古級の寺院と考えられている。五大寺(大官大寺・飛鳥寺・川原寺・豊浦寺・坂田寺)の一つに数えられている。
T‐NR011 大官大寺跡 621年に厩戸皇子が創建した平群熊凝精舎に始まると伝えられ、677年に尼僧を取り締まる官寺として大官大寺と改称した。伽藍配置は、南から南門,金堂,講堂が並び金堂の東側前方に九重塔があった。
T-NR013 橘寺 橘宮という欽明天皇の別宮があり、574年にこの地で厩戸皇子が生まれたとされる。606年、厩戸皇子が宮を改造し橘樹寺を建立した。当初は金堂,講堂,五重塔をはじめ66棟の堂舎が建ち並んでいた。1864年に再興されたのが現在の橘寺の建物である。善悪二相を表した二面石がある。
T‐NR021 桧隈寺跡
(於美阿志神社)
阿智使主の居住地跡に東漢氏一族が7世紀後半に創建したとされる。於美阿志神社はその鎮守社と考えられ、阿智使主とその妻を祭神としている。発掘調査の結果、伽藍配置が明らかになっている。
T‐NR031 豊浦寺跡
(向原寺)
元は蘇我稲目の向原の家とされるが、崇仏廃仏論争の結果、欽明天皇から託された仏像を祀る向原寺とした。豊浦宮として、ここで推古天皇が即位している。その後、小墾田宮に遷都の際に推古天皇は豊浦宮跡に寺院を建立することとし、蘇我馬子が日本最古の尼寺となる豊浦寺を建立した。さらに江戸時代に現在の向原寺が建立された。
T‐NR036 岡寺(龍蓋寺) 草壁皇子の岡宮跡に義淵僧正が創建したとされる。創建当時は西に隣接する治田神社の位置にあったと推定されている。義淵が悪龍を龍蓋池に封印して石で蓋をし悪龍の厄難を取り除いたという伝説がある。
T‐NR037 奥山久米寺跡 7世紀前半に造営された四天王寺式伽藍配置の寺院跡とされる。伝承では、聖徳太子の弟の来目皇子の創建とも橿原市の久米寺の奥の院ともされるが、その沿革は文献が無く不明である。
T‐NR041 定林寺跡 厩戸皇子建立四十六ヶ寺(または七ヶ寺)の一つとされるが、その詳細は判明していない。発掘調査で塔心礎を確認し、朔像菩薩残欠や素弁蓮華文瓦片なども出土し飛鳥時代の創建と確認されている。

生駒郡
平群町

T‐NR044 朝護孫子寺 伝承では厩戸皇子が物部守屋討伐の戦勝祈願の際に毘沙門天王が現れ、587年、皇子は自ら刻んだ毘沙門天を本尊として当寺を創建したとする。1577年に松永久秀に対する織田勢の攻撃で全焼したが、豊臣秀頼によって再興された。国宝『信貴山縁起絵巻』を有する。

生駒郡
斑鳩町

T‐NR014 中宮寺 工事中
T‐NR023

法起寺
(岡本寺・池尻寺)

工事中
T‐NR025a

法隆寺
(西院伽藍)

工事中
T‐NR025b

法隆寺
(東院伽藍)

工事中
T‐NR026 法輪寺 工事中
葛城市 T‐NR010 石光寺 天智天皇の時代に光を放つ三大石があり、掘ると弥勒三尊の石像が現れた。勅願により堂宇を建立し、役小角が開山となって弥勒如来を本尊として祀ったのが始まりとされる。中将姫伝説を伝える寺でもある。
T‐NR012 當麻寺 麻呂子王により612年に万宝蔵院として河内国に創建され、その後、当麻国見によって寺名を當麻寺として遷造されたとする。寺に伝わる当麻曼荼羅は、763年に作られたとされている。

吉野郡
吉野町

T‐NR018 如意輪寺 工事中
T‐NR034 金峯山寺 工事中

吉野郡
大淀町

T‐NR032 世尊寺 工事中
宇陀市 T‐NR028 室生寺 工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐WK001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
大阪市 T‐OS001 四天王寺 工事中
T‐OS007 一心寺 工事中
T‐OS008 石山本願寺
推定地
1496年9月、蓮如により建設を開始され、翌年11月に完成をみる。1532年に山科本願寺が焼失すると石山本願寺が本山となる。1568年からの織田信長と11年にわたる戦いに敗れた顕如は石山本願寺を明け渡し、直後に炎上した。跡地には大坂城が建つ。
羽曳野市 T‐OS002 通法寺跡 1043年に河内国司であった源頼信の子源頼義が猟の際に千手観音の霊像を得て、これを本尊にして創立した寺院と伝えられている。廃仏毀釈により廃寺とされ、山門,鐘楼などを残すのみ。

南河内郡
太子町

T‐OS005 叡福寺 寺伝によれば、厩戸皇子が生前にこの地を墓所と定めたという。母の穴穂部間人皇女がここに葬られ、厩戸皇子と妃の膳部菩岐々美郎女が追葬されたといわれる。御本尊は厩戸皇子16歳のときの御尊像である。
T‐OS009 西方院 厩戸皇子の死去後に出家した三人の侍女により叡福寺の門前にその塔頭として創建されたという。1639年に衰退し荒廃していた寺を蓮誉寿正尼が中興し、名称を西方院と改めた。

南河内郡
河南町

T‐OS003 弘川寺 665年に役小角によって創建されたと伝えられる。1189年には西行法師が訪れ、この地で没している。西行と江戸時代に西行堂を建立した似雲の墓所がある。
河内長野市 T‐OS006 観心寺 工事中
御所市 T‐OS004 転法輪寺 工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
川西市 T‐HG001 満願寺 工事中

 

中国(岡山県・広島県・鳥取県・島根県・山口県)

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐OY001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐HS001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐TT001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐SN001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐YC001

 

四国(徳島県・香川県・愛媛県・高知県)

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定

名西郡
石井町

T‐TS001 阿波国分尼寺跡 工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
高松市 T‐KG001 讃岐国分寺跡 741年に発せられた「国分寺建立の詔」により建立された。発掘調査から「大官大寺式」の配置であったことが明らかとなっている。大名の庇護や八十八ヶ所霊場の札所として現在も国分寺が残る。
T‐KG002 讃岐国分尼寺跡 741年に発せられた「国分寺建立の詔」により建立された。寺域は東西180~210m,南北180mの範囲とされ、現在はそのほぼ中心に法華寺が建つ。金堂跡の礎石が残り、尼房跡,講堂跡も発見されている
T‐KG003 屋島寺 754年、鑑真が開創し、のちに弟子の恵雲がお堂を建立したという。815年、空海がお堂を屋嶋城跡地に移し南嶺屋島寺を創設したとされる。山門,四天門,東大門を入ると本堂,大師堂,三躰堂,千躰堂が並ぶ。
さぬき市 T‐KG004 志度寺 626年、凡薗子尼が志度浦にたどり着いた檜の霊木から十一面観音を造立し堂を建て祀ったのが始まりとされる。681年、藤原不比等が堂宇を増築し、693年には藤原房前が行基とともに堂宇を建立した。仁王門,本堂は国重文である。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐EH001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐KC001

 

九州・沖縄(福岡県・佐賀県・長崎県・大分県・熊本県・宮崎県・鹿児島県・沖縄県)

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
福岡市 T‐FK003 聖福寺 工事中
太宰府市 T‐FK001 観世音寺 工事中
朝倉市 T‐FK002

古心寺
〔黒田氏墓所〕

工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐SA001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐NS001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐OT001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐KM001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐MZ001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐KS001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
T‐OK001