墓所・古墳

北海道・東北

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐HD001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐AM001

 

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定

西磐井郡
平泉町

K‐IW001 源義経妻子墓所 1189年閏4月30日、頼朝の命を受けた藤原泰衡により衣川館が襲撃され、源義経は持仏堂に入り22歳の郷御前と4歳の娘を殺害したのち自害した。
K‐IW002 武蔵坊弁慶墓所 衣川の戦いで弁慶は、義経が自害する堂の入口に立って薙刀を振るい孤軍奮闘の末、敵の矢を身体に受けて立ったまま絶命とされるが、弁慶の存在は確かなものではない。
K‐IW003 藤原基衡室(安倍宗任女)墓所 観自在王院を築造した藤原基衡室の安倍宗任の娘の墓所である。観自在王院跡内の北にある。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐AT001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐YG001

 

所在地 No. 史跡名

ワンポイント・メモ

指定
仙台市 K‐MG001

伊達政宗霊屋
(瑞鳳殿)

初代仙台藩主伊達政宗の霊屋。1636年に没し遺言に従い、第2代藩主の忠宗が経ヶ峯の東部に建立した。
K‐MG002

伊達忠宗霊屋
(感仙殿)

1658年に60歳で死去した2代藩主伊達忠宗の霊屋。没後、3代藩主伊達綱宗の命により霊屋の造営が行われ、約6年をかけて1664年に完成をみた。
K‐MG003

伊達綱宗霊屋
(善応殿)

1711年に72歳で死去した3代藩主伊達綱宗の霊屋。暗愚な藩主とされ、品川の大井屋敷に隠居していた。死後、遺体は仙台に運ばれ経ヶ峯に葬られ、1716年に善応殿が完成した。
K‐MG004 妙雲界廟 仙台藩9代藩主伊達周宗,11代斉義,その妻である芝姫の墓で、3代綱宗までの荘厳な霊屋とは異なり質素な板石塔婆の墓である。
K‐MG007 鹿児島県人七士墓所 西南の役で投降し宮城県の監獄署に収容された7名の薩摩軍兵士の墓。国事犯たちは自ら宮城県内の開発を願い出て仙台,塩釜等で開墾作業や築港工事に従事し、明治初期の宮城県の開発に貢献した。

宮城郡
松島町

K‐MG005

陽徳院霊屋
(寶華殿)

1653年に86歳で死去した伊達政宗正室の愛姫の霊屋。政宗死去後は、仏門に入り落飾して陽徳院と称した。霊屋は1660年に孫の伊達綱宗によって造営された。
K‐MG006 伊達五郎八姫霊屋 伊達政宗の娘の五郎八姫の霊屋。1661年に68歳で死去した。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐FS001

 

関東

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐TK001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
鎌倉市 K‐KN001 源 頼朝墓所 1198年12月27日、源頼朝は相模川にかけた橋の完成祝いに出掛け、その帰路で体調を崩す。原因は落馬と言われるが定かではなく謎に包まれている。1199年1月13日に53歳で亡くなり大倉法華堂(現・白旗神社)に葬むられた。
K‐KN002 大江広元墓所 1225年6月10日に亡くなったが、史料により没年齢が異なり享年78歳とも83歳ともいわれる。大江広元の出自についても諸説あり詳細は不明。当初は中原姓を称し、大江姓に改めたのは晩年の1216年に陸奥守に任官した以後のことである。
K‐KN003 毛利季光墓所 玉垣に囲まれた3っの墓の向かって左のやぐらが毛利季光の墓である。1221年の承久の乱では、北条泰時に従っていくつかの戦功をあげたが、1247年の宝治合戦では北条氏と対立した三浦氏方に加担し敗北。鎌倉法華堂で息子らと共に自刃した。
K‐KN004 島津忠久墓所 玉垣に囲まれた3っの墓の向かって右のやぐらが島津忠久の墓である。1227年6月18日、脚気と赤痢により死去したとされる。墓は、島津重豪により江戸時代後期に源頼朝の墓と共に建立された。
K‐KN005 北条義時墓所 工事中
K‐KN006 和田塚 1213年に起こった北条義時と和田義盛による武力衝突(和田合戦)に敗れた和田一族が埋葬された地とされる。1895年、六地蔵から由比ガ浜への新道をつくろうとして塚の一部を崩したところ、おびただしい人骨がでてきた。
K‐KN007 十一人塚 13335月19日、鎌倉へと攻め寄せた新田義貞軍のうち極楽寺方面の大館宗氏は鎌倉方の本間山城左衛門らの猛反撃に遭う。総大将の大館宗氏以下11人は杭瀬川で討死したといわれ、十一人塚は彼らの遺体を埋葬し十一面観音像が建てて鎮魂した所という。
K‐KN008 上杉憲方墓所 七層塔が1394年10月24日に享年60で亡くなった上杉憲方の墓、五層塔が夫人の墓と伝わる。また、憲方自身が建立した明月院にも彼の墓がある。
K‐KN009

北条政子墓所
〔寿福寺〕

北条政子が創建した寿福寺にあるやぐらの墓所(五輪塔)である。1225年7月11日、波乱に満ちた69年の生涯を閉じた。源頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所と呼ばれる。夫の死後に落飾して尼御台と呼ばれた。
K‐KN010

源 実朝墓所
〔寿福寺〕

寿福寺にある源頼朝の次男・源実朝のやぐらの墓所(五輪塔)である。12歳で征夷大将軍に就いたが、1219(建保7)年1月27日、鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。享年28(満26歳)。
K‐KN011

一幡之君袖塚
〔妙本寺〕

1203年9月2日、比企能員が北条時政邸で誅殺され、北条義時軍が小御所(現・妙本寺)へ襲来する。比企側は抵抗を続けたが、やがて一幡の前で自決し、一幡も炎の中で死んだ。翌日、焼け焦げた小袖が見つかり一幡のものであるとして袖塚が建てられた。
K‐KN012

北条時宗墓所
〔佛日庵〕

北条時宗は円覚寺の塔頭である佛日庵に葬られている。堂の下に遺骨を納めた石櫃があると伝えられる。なお、時宗とともに9代執権・貞時と14代高時も合葬されている。死因は結核とも心臓病ともいわれている。
K‐KN013

北条時頼墓所
〔明月院〕

明月院の門を入って左手の廟所にある宝篋印塔が北条時頼の墓とされる。出家から7年後の1263年11月22日に37歳で没した。武道に長け、仁義を施して民を憐れみ、天道の理にかない人望があったとされる。
K‐KN014

足利貞氏墓所
〔浄妙寺〕

足利尊氏や足利高義,足利直義の父。1331年9月5日、59歳で死去。高氏(尊氏)が1333年に北条氏の鎌倉幕府に反旗を翻して滅ぼすよりわずか2年前の死去であった。
K‐KN015

三浦義明墓所
〔来迎寺〕

来迎寺本堂右手にある三浦義明とその孫の多々良重春の墓所である。また、近くに義明の家来衆の墓も並ぶ。源頼朝挙兵に加担し、のちに源頼朝は三浦義明の霊を弔うために能蔵寺(のちの来迎寺)を建立した。
K‐KN016

比企一族墓所
〔妙本寺〕

1203年9月2日、比企能員が北条時政邸で誅殺され、北条義時を大将とする軍勢が小御所へ襲来する。比企側は決死の抵抗を続けたが、畠山重忠の新手の軍に攻め立てたため、ついに力尽き、館に火を放ち、一族は嫡子一幡の前で自決し果てた。比企一族墓所は妙本寺境内の祖師堂横にある。
K‐KN017 三浦泰村一族墓所 1247年に勃発した北条時頼,安達景盛と三浦泰村の勢力争いである宝治合戦において、敗れた三浦泰村が三浦一族など500余名と共に源頼朝の墓所である法華堂で自害した。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐ST001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐CB001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐IR001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐TG001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐GM001

 

甲信越

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐YN001

 

所在地 No. 史跡名

ワンポイント・メモ

指定
飯田市 K‐NN001 馬背塚古墳 工事中
K‐NN002 塚原二子塚古墳 工事中
K‐NN003 鏡塚古墳 工事中
K‐NN004 鎧塚古墳 工事中
K‐NN005 大塚古墳 工事中
K‐NN006 水佐代獅子塚古墳 工事中
K‐NN007 姫塚古墳 工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐NG001

 

東海

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
浜松市 K‐SZ001 宗良親王墓所 宗良親王は、建武の新政が崩壊し南北朝の対立が本格化すると南朝方として活躍をするようになる。1338年、陸奥国府へ渡ろうとするが座礁により遠江国に漂着し井伊道政のもとに身を寄せた。終焉場所については諸説あるが、明治政府は井伊谷宮の墳墓を宗良親王の陵墓と定めた。
K‐SZ002

井伊家歴代墓所
〔龍潭寺〕

龍潭寺北西に氏祖の井伊共保から24代井伊直政までが眠る。正面奥に1093年に84歳で亡くなった井伊共保と1560年に桶狭間の戦いで戦死した井伊直盛の墓があり、その左右に歴代の当主、または当主の室の墓が並ぶ。井伊直政は、関ケ原の戦いでの鉄砲傷がもとで1602年に死去し、彦根で火葬されたのち龍潭寺に葬られた。
K‐SZ003

井伊谷三人衆墓所
〔龍潭寺〕

1568年末の徳川家康の遠州攻めで今川氏真から徳川方へ離反した近藤康用,菅沼忠久,鈴木重時を井伊谷三人衆という。近藤康用は、1588年に閉居先の井伊谷で死去。菅沼忠久は、1582年に死去とあり、鈴木重時は、1569年、家康の下命を受けた堀江城攻撃の際に城方の攻撃を受け命を落とした。
K‐SZ004

新野親矩墓所
〔龍潭寺〕

新野親矩は遠江国新野新城主。1562年、井伊直親が横死すると、今川氏真は直親の嫡子虎松(のちの井伊直政)殺害も命じたが、親矩は氏真に命乞いをして直親の未亡人と虎松を保護し、井伊氏の最大の危機を救った。1563年からの遠州錯乱の際には今川方として戦い、引馬城攻めで討死にした。
K‐SZ005

築山御前墓所

〔西来院〕

築山御前は復権を果たすために武田勝頼に内通したとされ、徳姫から知らせを受けた信長は家康に築山御前と信康の断罪を要求した。1579年、家康の命で築山殿は佐鳴湖岸小藪村で野中重政と岡本時仲によって殺害されたという[享年38]。西来院境内にある月窟廟が築山御前の墓所である。
K‐SZ006

松平多世姫墓所
〔宗源院〕

多世(多代)姫は浜松藩主・松平信祝の娘で松浦有信の正室となった。1731年1月8日死去し、宗源院内に葬られた。
K‐SZ007

成瀬正義墓所
〔宗源院〕

1572年12月22日、三方ヶ原の戦いで旗奉行として家康本陣を守り武田信玄軍と戦い奮戦したが、家康の身代わりとして討ち死にした。成瀬正義が戦死した地は成瀬谷と呼ばれている。墓所は宗源院。正義の墓の横には、旗手として正義とともに戦死した外山正重の墓が並んでいる。
K‐SZ017

金指近藤家墓所
〔宝林寺〕

初山宝林寺の東側に近藤貞用をはじめとする金指近藤家の墓所がある。貞用は遠州五近藤の本家、金指近藤家2代目当主で、後に宝林寺を建立した。この地の産業や文化の向上に努めた貞用は当山に葬られた。
K‐SZ018 井伊直親墓所 1563年、井伊直親は小野道好の讒言により、主君・今川氏真から松平元康との内通の疑いを受け、陳謝のために駿府へ向かう道中に朝比奈泰朝の襲撃により殺害された[享年27]。遺骸はこの地に運ばれ都田河畔で火葬された。1851年、井伊直弼が墓参に訪れた際に1対の灯篭を寄進している。
K‐SZ019 陣座ヶ谷古墳 全長約55m,後円部径約42m,前方部幅約20mの前方後円墳で古墳時代中期5世紀後半の築造と考えられる。変形獣文鏡や刀,円筒埴輪の破片が出土したとされる。被葬者は定かではないが、都田川流域を治めた豪族ではないかと推測される。
K‐SZ022

松平信康廟所

〔清瀧寺〕

1579年、徳川家康は織田信長から、武田氏への内通の疑いをかけられた松平信康と築山殿の処断を求められた。家康は二俣城に幽閉させていた信康を切腹させた[享年21]。信康の胴は小松原長安院(のちの清瀧寺)に葬られ、首は岡崎の若宮八幡宮に葬られた。
K‐SZ023

方神塚
〔光明寺跡〕

奈良時代から室町時代の墓地で、光明寺に関係するものと考えられる。数基の塚を中心に集石墓や石組みが多数見られる。791年、この地で死去した楯部真躬もここに葬られたとされる。
K‐SZ025 光明山古墳 墳丘の形状と埴輪の特徴から5世紀中頃に築造された前方後円墳とされる。前方部を南方に向けた2段築成で墳長83mの静岡県内では最大規模の古墳となる。
磐田市 K‐SZ020 兜塚古墳 直径約80m,高さ約8mの静岡県内最大の円墳で、全国でも5番目に入るほどの大きさである。墳丘は2段に造られており、その姿が兜を伏せた状態に似ていることからその名がついたらしい。玉類や三角縁神獣鏡などが発見され、5世紀前半に築造とされる。
K‐SZ015 新豊院山古墳群 弥生時代中期から古墳時代前期にわたる墳墓で構成された古墳群で、ここには2基の前方後円墳(推定)と台状墓1基が確認されている。2号墳は後円部に竪穴式石室があり、石室内から銅鏃,鉄剣,槍先,直刀,舶載三角縁神獣鏡が出土している。この地方を治めた首長の墓と考えられている。
K‐SZ016

銚子塚古墳
附小銚子塚古墳

工事中

周智郡
森町

K‐SZ014 山内道美,久通,通泰墓所 工事中
K‐SZ024

武藤氏一族墓所
〔香勝寺〕

武藤頼高が1180年に遠江守安田義定の代官として当地に移り住んで以降、戦国時代の武藤氏定まで地方豪族としてこの地で代官職を務めた武藤氏一族の墓所である。1967年の香勝寺本堂再建の際に須弥壇真下から宝篋印塔が見つかった。
袋井市 K‐SZ021 笹田源吾墓所 1578年、当寺武田方の城であった高天神城から偵察に出てこの地で当地の人々によって素性を見破られ、捕縛されて討ち取られた笹田(篠田)源吾の墓とされる。
掛川市 K‐SZ012 龍華院大猷院霊屋 工事中
K‐SZ013

大須賀康高,忠政墓所
〔撰要寺〕

工事中
菊川市 K‐SZ011 松井信薫墓所 工事中
島田市 K‐SZ008

今川範氏墓所
〔慶寿寺〕

工事中
K‐SZ009

大野九郎兵衛墓所
〔慶寿寺〕

工事中
御前崎市 K‐SZ010

新野親矩墓所
(左馬武神社)

工事中

 

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
名古屋市 K‐AC003 八幡山古墳 5世紀中頃に築造された東海地方最大級の円墳である。直径82m,高さ10m、周濠の幅は平均10mである。八幡神社の祠が頭頂部にあったために八幡山と呼ばれる。伝聞によれば形象埴輪,朝顔形円筒埴輪が出土したとされるが、戦災で失われたという。
K‐AC008

織田信秀墓所
〔萬松寺〕

織田信秀は1552年に死去。享年42。葬儀は萬松寺で僧侶300人を参集させ壮大に行われたという。信秀墓所は桃巌寺にもある。
K‐AC057 断夫山古墳 愛知県では最大規模の大型前方後円墳で、6世紀前半頃の築造と推定される。当時尾張地方に大きな勢力をもった尾張氏の首長墓に比定される。
K‐AC058 白鳥古墳 6世紀初頭に築造された前方後円墳で尾張氏の首長墓と考えられている。熱田神宮社伝では、日本武尊の陵とし断夫山古墳を日本武尊妃の宮簀媛の墓として毎年5月に御陵墓祭を行なっている。
K‐AC060

前田與十郎長定墓所
〔速念寺〕

前田城跡の速念寺にある前田長定の墓である。小牧長久手合戦時、織田信雄方であった長定は羽柴秀吉方の滝川一益の誘いを受けて秀吉方に寝返ってしまい、家康の命により妻子共々討ち取られたと言われている。
K‐AC050

石黒重行墓所
〔瑞応寺〕

工事中
K‐AC051 塙宗悦墓所 工事中
K‐AC086

大久手3号墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K-AC087

大久手4号墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC088

大久手5号墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC089

東大久手古墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC090

西大久手古墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC091

大塚2号墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC092

大塚3号墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC093

志段味大塚古墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC094

勝手塚古墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC095

白鳥塚古墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC096

東谷山白鳥古墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC097

南社古墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC098

中社古墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC099

尾張戸神社古墳
〔志段味古墳群〕

工事中
K‐AC119 桜神明社古墳 別名「ひめ塚」とも呼ばれていた。墳頂には桜神明社が祀られている。5世紀末頃の古墳で直径36m,高さ4.5mの円墳である。比較的保存状態が良い。
K‐AC120 守山瓢箪山古墳 小幡ヶ原の台地の端近くに築かれた前方後円墳。全長63m、前方部幅58m,高さ6m、後円部直径36m,高さ5mの二段築成の墳丘で、前が大きく開く墳丘の形状や土師質円筒埴輪片が採集されることなどから5世紀末~6世紀初頭の築造と考えられる。
K‐AC121 小幡長塚古墳 小幡ヶ原周辺に点在する古墳の一つで6世紀前半築造と考えられる前方後円墳。墳丘長約81m,前方部の幅約42m(推定),高さ5.5m、後円部径約38m(推定),高さ6.5mと、前方部が大きく後円部が高い古墳である。人物埴輪の出土は名古屋市内の古墳では初。
K‐AC122 小幡茶臼山古墳 小幡古墳群の一つ。全長63m,前方部幅35m,後円部径32m,周濠幅6mの前方後円墳である。土師器,武具,馬具などの出土品から築造時期は6世紀中頃と推定される。私有地であったこともあって墳丘はかつての姿を留めていない。
K‐AC123

 織田信秀,信行墓所

〔桃巌寺〕

織田信秀は1552年に末森城で死去。その後、末森城主になったのは織田信長の弟の織田信行であった。信行は信長に叛旗を翻し清洲城で信長に謀殺された。信秀の廟所は末森城の西北山麓から桃巌寺に移され、信行とともに供養されている。
K‐AC162 斎山古墳 現在の斎山稲荷社境内に所在する。墳形は確定できず、円墳あるいは前方後円墳、また帆立貝式古墳ともいわれている。円筒形及び朝顔形埴輪片が出土し、古墳時代前期中葉~後葉の築造と考えられる。この地の首長級の墓と思われる。
K‐AC168 松ケ洞古墳群 工事中
K‐AC173

加藤勘三郎,小関三五郎墓所
〔了玄院〕

了玄院には上社城主あるいは高針城主の加藤勘三郎と藤森城主の小関三五郎の墓(墓標)が並んで立っている。
一宮市 K‐AC041

山内盛豊,十郎墓所
〔法蓮寺〕

法蓮寺にある。1557年、山内盛豊が城代を務める黒田城を織田信長の手勢が夜討し、山内盛豊と長男十郎が討死したとされる(盛豊は生き延びたとする説あり)。
犬山市 K‐AC047 梶原景時,景義墓所 工事中
K‐AC127 青塚古墳(青塚砦跡) 愛知県では断夫山古墳に次ぐ第2位の規模の大型前方後円墳。4世紀中葉の築造と推定される。被葬者は明らかでないが、大縣神社では大荒田命の墓と伝承されている。小牧長久手の戦いの際には、秀吉方の森長可が改修し青塚砦として使用している。
小牧市 K‐AC048

落合勝正墓所
〔陶昌院〕

陶昌院の境内にある落合勝正の墓である。室町時代に上末城を築いた。没年は不明。
K‐AC128 岩屋古墳 6世紀末~7世紀初頭の飛鳥時代に築造された横穴式石室を主体部とする直径30m弱の円墳である。当初、岩崎山南東側山麓の杲洞寺近くに位置していたが、岩崎山北東側の岩崎山公園に移設,復元された。
K‐AC131 三ッ山古墳群3号墳 4世紀末~5世紀初頭に築造された方墳3基で構成されていたが、国道拡幅工事により、北側の2基(1,2号墳)が破壊された。小牧長久手の戦いの際に、田中砦が築かれた場所でもある。
春日井市 K‐AC125 味美二子山古墳 6世紀前葉に築造された前方後円墳である。墳丘は全長96mの2段構築となっている。1967年に航空自衛隊練習機が周濠内に墜落し、その復旧工事で形象埴輪(馬形,人物,水鳥形)および円筒埴輪片が出土している。
K‐AC126 御旅所古墳 5世紀末~6世紀初頭に築造された墳径約31m,高さ約2.9mの円墳である。その名称は白山神社(味美白山神社古墳)から神輿渡御が行なわれる御旅所であったことに因む。味美古墳群を形成している。
K‐AC129 味美白山神社古墳 味美古墳群の一つである。出土品や墳丘の形状から推定して5世紀末~6世紀初頭に築造された前方後円墳。墳長は約86m、前方部は幅,長さともに約48mで高さ約5m、後円部は径約48m,高さ約6.5~7mで、現在は古墳全体が白山神社の社地となっている。
K‐AC130 味美春日山古墳 味美古墳群の一つである。白山神社から西方約300mに位置する前方後円墳。前方部の発達状態からみて味美古墳群では最後に築造された前方後円墳と見なされ、6世紀後半の築造と推定される。
K‐AC169 大留荒川古墳 工事中
K‐AC170 三明神社古墳 工事中
K‐AC171 高御堂古墳 工事中
日進市 K‐AC059 岩崎城古墳 岩崎城発掘調査の際、土塁下に偶然発見された。須恵器などの出土品から6世紀前葉の築造と推定される。埋葬者は不明であるが、この地域を経済基盤として力を貯えた豪族と考えられる。
K‐AC164 白山古墳 白山宮境内南側斜面にある直径約14mの円墳。横穴式石室は全長7m,玄室幅2mで、副葬品として金環や鉄製の直刀,装飾須恵器などが出土している。古墳時代後期の6世紀頃の築造と推定される。
長久手市 K‐AC124

三将の墓所
〔常照寺〕

いきさつについては不明であるが、1584年の長久手の戦いで戦死した羽柴秀吉方の武将の墓が常照寺にある。左から池田恒興,池田之助,森長可の一石五輪塔が並ぶ。
東海市 K‐AC052

細井平洲親族墓所
〔西方寺〕

西方寺にある。前後2列の5基が並び、後方の3基が先祖の墓、手前右側が細井平洲の両親、左側が兄夫婦の墓である。
K‐AC163 名和古墳群 三ツ屋古墳群とも呼ばれる。現存している3基の円墳(1・2・3号墳)で構成され、1号墳は直径約20mで、内部に横穴式石室が確認されている。出土品から古墳時代後期(6世紀)の築造と推定される。
豊明市 K‐AC157

簗田広正墓所
〔聖応寺〕

簗田出羽守広正の没年は定かではないが、1579年の説がある。沓掛城近くの聖應寺に葬られた。桶狭間の戦いでは情報収集活動を行い、いちばんの功労者とされている。
豊田市 K‐AC001 在原松平氏墓所 松平氏,徳川氏の原点となる松平郷の在原氏の墓所。中央に松平信盛、右に信重、左に水女(1426年没)の墓塔が建つ。
K‐AC002 松平太郎左衛門家墓所 松平郷にある当墓所には松平太郎左衛門家11代の松平信和以降の当主が葬られている。
K‐AC013 足助鈴木氏5代墓所 香積寺から飯盛城跡へ向かう登山道の途中に、足助氏が去った後に足助を支配した鈴木氏の五輪塔または宝篋印塔墓が5基並ぶ。家祖鈴木忠親,2代重政,3代重直,4代信重,5代康重の墓である。
K‐AC014 鈴木重氏墓所 江戸時代前期の椎城主の一人・鈴木重氏の墓所であり、椎城二の丸跡にある。事績についてははっきりしない。
K‐AC015 装束塚および成瀬一族墓所 1331年、関白・二条良基は京都の戦乱から逃れるために足助重範のもとに身を寄せた。二条が足助に滞在中、重範の娘・滝野は良基の子(のちの成瀬基久)を身籠る。滝野は京都へ帰った良基が亡くなると形見の装束を埋めて装束塚とした。同所には足助重範,滝野,成瀬基久,成瀬基直の墓がある。
K‐AC042

細川家3代墓所

〔隣松寺〕

初代の細川義季とその弟の戸賀崎義宗、2代細川俊氏、3代の細川公頼の墓が並ぶ。足利義季は、承久の乱後、上野国山田郡広沢から三河国額田郡細川郷に移り細川城山城を築き、地名から細川義季と名乗り細川家の始祖となった。
K‐AC043

内藤清長墓所

〔隣松寺〕

隣松寺境内に細川家三代墓所と並んで内藤清長の墓所がある。内藤清長は松平清康,広忠に仕えた武将である。1564年に幸田の萩城にて没している。
K‐AC044

松平忠吉墓所

〔隣松寺〕

1604年、松平忠吉は病に侵され一時危篤状態に陥るが投薬により蘇生する。しかし、1607年に江戸で家康,秀忠と面会した数日後の3月5日に死去、享年28。忠吉の墓所は東京都の増上寺,名古屋市の性高院にも建てられている。
K‐AC049

滝脇松平氏墓所
〔長松院〕

大給城主・松平親乗に攻められ1556年正月に戦死にした松平正乗と同年3月の再襲撃で戦死した初代乗清,2代乗遠および1575年にその仇を果たした3代乗高の墓が長松院に並ぶ。
K‐AC053 宮口古墳群 狭い範囲に4基の古墳が形成されている。被葬者については不明であるが、非常に密接な間柄であったと想像される。過去の出土須恵器類から6世紀後半の築造と考えられている。
K‐AC054 戸田又兵衛直矣墓所 1615年5月7日、大坂夏の陣において松平忠直の軍に属し大坂城内で戦死した岩倉城主・戸田直矣の墓所である。
K‐AC138 鴛鴨松平氏墓所 松平親光を始祖とする松平氏の庶流。親光,親康,親久と続き、4代目の忠久のときに徳川家康の命令で西尾城主である酒井正親に属し子孫は酒井氏の家老となった。同所には、榊原長政の墓所と、忠久の娘で松平忠吉の養母となった於美津の墓所も並ぶ。
K‐AC139 榊原清長,長政墓所 榊原清長,長政は徳川家康の四天王として知られる榊原康政の祖父と父にあたる。清長は1545年、長政は1562年に亡くなっている。
K‐AC140 於美津墓所 1610年2月4日、駿府にて死去。遺命により菩提所隣松寺に遺骨を納め、この地が廟所と定められた。於美津は徳川家康の4男福松丸(のちの忠吉)の養母となり、人望厚い忠吉の素地を形成した。
K‐AC157 城塚古墳 7世紀後半に築造された直径20~30m,高さ3mの円墳である。発掘調査では須恵器,大甕,碗の陶片が発見されている。
K‐AC174 松平氏墓所〔高月院〕 高月院本堂の北西に位置し、中央が松平氏初代松平親氏、向かって右側が第2代松平泰親、左側が松平氏第4代松平親忠夫人(鈴木重勝娘:閑照院皎月尼)の墓塔と伝えられる。
K‐AC175 根川古墳群 もともとは3基からなる古墳であったが、3号墳は県道建設により消滅。1号墳(6世紀中頃築造)と2号墳(6世紀後半築造)は共に直径17mの円墳で、3号墳は直径13mの円墳で6世紀前半の築造と推定される。
刈谷市 K‐AC172 水野家廟所〔楞厳寺〕 刈谷城主である水野家の菩提寺・楞厳寺境内にある。水野信元とその室(松平信定の娘)、信元の末弟・水野忠重の墓がある。
碧南市 K‐AC022 長田重元,重吉墓所 工事中

知多郡
東浦町

K‐AC007

水野氏4代墓所
〔乾坤院〕

乾坤院には緒川城主4代水野忠政の墓と、6代水野忠守,下総山川藩主・水野忠元,三河岡崎藩主・水野忠善の墓がある。
K‐AC150 緒川城主3代墓所 於大公園東の林の中に建つ。緒川城主初代水野貞守,2代賢正,3代清忠の墓と、4代忠政の兄・成政とその子成清の墓、そして緒川字笠松から出土した小河氏の墓と伝えられる石塔がある。

知多郡
美浜町

K‐AC009 源 義朝墓所 源義朝の墓は野間大坊にある。1159年、平治の乱に敗れた義朝は、随行した鎌田政家の舅である野間内海荘の長田忠致の許に身を寄せるが、入浴中に騙し討ちされる。義朝は「我れに木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだとされ、墓には多くの木刀が供えられている。
K‐AC010 鎌田政家墓所 鎌田政家(政清)墓所は野間大坊にある。1159年、平治の乱に敗れた義朝,政家らは政家の舅である野間内海荘の長田忠致の許に身を寄せるが、政家は酒を飲まされ騙し討ちにされた。1185年、政家の首と義朝の遺骨は源頼朝によって共に鎌倉の勝長寿院に葬られたとされる。
K‐AC011 織田信孝墓所 1583年4月の賎ヶ岳合戦に際しては織田信孝は柴田勝家と結んで岐阜城で挙兵したが、秀吉の命により織田信雄の軍勢に攻められ降伏開城した。信孝は野間の内海大御堂寺に退いたが、信雄の命令により安養院にて自害させられた。享年26。
K‐AC012 平 康頼墓所 平康頼は尾張目代のとき荒れ果てた源義朝の墓をみて小堂を建て供養した。平家滅亡後、源頼朝は彼を阿波国麻殖保の保司に任じた。1220年頃に死去。この墓は義朝家臣の供養塔あるいは後世に大御堂寺創建者としての康頼を供養し建てたものと考えられている。
安城市 K‐AC026 本多忠豊墓碑 1545年、織田信秀との第二次安城合戦で、敗北した松平広忠を逃がすために殿軍を務めて討死した。三河国乗子の大中寺に葬られ、後に妙源寺に改葬された(本多忠豊墓所)。この碑は、1794年に岡崎藩主・本多忠顕によって忠豊が戦死した地に建立されたものである。
K‐AC027 本多忠高墓碑 1549年3月の第三次安城合戦で先鋒となった本多忠高は大久保忠俊らとともに夜襲をかけ戦果を収めたが、翌日の戦いで城の主郭まで深入りし敵の矢に当たって討死した。1797年、ここ戦死地に岡崎藩主の本多忠顕によって墓碑が建てられた。
K‐AC028 中川覚右衛門墓所 工事中
K‐AC029

阿部正信,重尚墓所
〔明法寺〕

工事中
K‐AC132 堀内古墳 桜井古墳群(4~5世紀)を構成する古墳のひとつである。調査の結果、直径約23m,高さ3.25mの円墳と判明している。天満山古墳とも呼ばれている。
K‐AC133 碧海山古墳 桜井古墳群を構成する古墳のひとつで、古墳時代の前半期(1400~1500年前)のものと考えられる。南北約22m,東西約17.5m,高さ4mの円墳で、墳頂が平坦で広いことが特徴とされる。
K‐AC134 姫小川古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つで、古墳時代前期頃の築造と推定されている。墳長66mの前方後円墳である。江戸時代に薬師堂が建てられており、その際に改変が施されたと考えられる。
K‐AC135 姫塚古墳 桜井古墳群を構成する古墳のひとつで古墳時代前期後半(4世紀後半)の築造と推定。南北28m,東西25m,高さ4mの方墳に復元されている。徳天皇の皇女「綾姫」の伝承が残る。
K‐AC136

内藤重清,清長墓所
〔誓願寺〕

内藤重清の墓は誓願寺にある。宝篋印塔には「大永三年」(1523年)と刻銘されている。

K‐AC137 石川政康墓所 石川政康は下野国で蓮如と出会い、その誘いに応じて三河に赴く。1446年、三河国碧海郡志貴荘村に小川城を築いた。また額田郡土呂に一族の寺として本宗寺を建て、のちに蓮如に寄進した。1502年、政康は死去した。
K‐AC141 二子古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つで最大級の前方後方墳である。墳丘上には天神社が建てられていた。墳形や葺石,埴輪が存在しない点から古墳時代前期前半ないし前期中葉の築造と推定されている。
K‐AC142 大浜騒動護法有志墓所 1871年に三河国碧海郡の鷲塚で起こった廃仏毀釈に反対する暴動で処せられた蓮泉寺の石川台嶺らの墓碑である。
K-AC143 塚越古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つで願力寺裏に位置する。全長約46mの古墳時代前期後半(4世紀中葉)の矢作川流域最古の前方後円墳とされる。墳丘の裾が少し削られているため前方後方墳の可能性もある。
K‐AC144 東川古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つで現状は南北約9m,東西11.5mの長方形で高さ約0.9m。墳丘上部は平坦で藪化しており墳形は不明である。また、築造時期,埋葬施設も明らかではない。
K‐AC145 愛染古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つで古墳時代前半期の円墳と想定される。1891年の濃尾地震で全壊した愛染明王堂再建のため、墳頂部は4mほど削られている。
K‐AC146 印内北分1号墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つとされ、現状は南北約10m,東西約10m,高さ1.7mで、墳頂部に0.5mほどの窪みがあり、横穴式石室の存在が想定されるが詳細は不明である。
K‐AC147 比蘇山古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つで桜井神社境内にある。神社本殿に後円部、拝殿に前方部があったと伝わり、後円部は本殿改築時に平坦にされたという。元々の規模は全長60mほどとされる。
K‐AC148 山伏塚古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つで直径18m,高さ3mほどの円墳と想定されるが、奈良時代の野田熊勝なる修験者の墓所とされ、古墳である確証はない。
K‐AC149 百塚古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つで、直径約21mの円墳と推定されている。現状は四方を石垣に囲まれており、墳頂には八幡社が鎮座している。
K‐AC151 獅子塚古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つで元々は前方後円(方)墳であったが、明治時代に前方部が削り取られ後円(方)部のみが残されている。墳頂に秋葉神社が建つ。名称の由来にも諸説ある。
K‐AC152 崖古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つとされるが、詳細は不明。円墳とされるが、宅地と道路に削られ段丘の法面となっている。古墳ではないという見方もある。
K‐AC153 王塚古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つで円墳とされるが、周囲をかなり削られており民家と隣接している。築造時期,埋葬施設,出土遺物も不明である。
K‐AC154 加美古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つとされ、加美地蔵尊の祀られている祠の小高いところとされる。築造時期は不明であるが、円墳の可能性が高い。
K‐AC155 八ッ塚古墳 桜井古墳群を構成する古墳の一つとされ、1881年までは高さ1.8mほどの円墳があり石室を持っていたと伝聞されるが、既に滅失しており詳細は不明。現在は田畑となっている。
K‐AC156 姫地下坑 姫塚古墳のすぐ西側に位置する古墳時代後期の地下坑墓である。地表から3m地下に、高さ約1.5mで長さが約4mと約2mの二室が見つかっている。
K‐AC165

桜井松平氏墓所
〔桜井城跡〕

桜井城歴代城主を中心とした墓所である。向かって右から桜井松平家の祖となった松平信定、次いで家重(清定か?),家次,忠正,忠吉および忠広の墓が並ぶ。
K‐AC166 福釜松平氏墓所 福釜城歴代城主の墓所である。菩提寺の宝泉院から西に100mほどの墓地に3基が並ぶ。向かって右から初代松平親盛,2代親次,3代親俊の墓である。
K‐AC167

桜井松平氏墓所
〔菩提寺〕

菩提寺にある桜井城歴代城主を中心とした墓所である。向かって左から5代松平忠吉,3代家次,初代信定,2代清定,4代忠正、そして家次3男忠広の墓が並ぶ。菩提寺は1521年に堪誉直道が草庵を建立したのが始まりとされる。
岡崎市 K‐AC004

石川数正墓所
〔本宗寺〕

工事中
K‐AC005

久世広長墓所
〔長福寺〕

久世広長は三河額田郡の豪族であった小野高広の子。母が足利将軍家の臣久世十郎藤原永次の娘だったことから久世を称した。徳川家康の祖父・松平清康と父の広忠2代に仕え戦功をたてた。下総関宿藩藩主久世家の祖。1546年10月8日死去。
K‐AC006

大久保家墓所
〔長福寺〕

1547年6月、大久保家の初代・大久保忠茂が長福寺に葬られて以来、長福寺が大久保家の菩提寺となり、忠俊,忠員、そして、「三河物語」を残した大久保彦左衛門忠教も「死後は長福寺に葬るべし」との遺言により、この寺に葬られている。
K‐AC045 大給松平奥殿藩主墓所 工事中
K‐AC046

松平親氏,泰親,信光墓所
〔信明光寺〕

松平宗家3代松平信光が1451年に岩津城の南に創建した信光明寺にある。向かって左より初代松平親氏,2代松平泰親松平信光の墓が並ぶ。なお、松平宗家の墓所はこのほかにも大樹寺など各所に存在する。
K‐AC100 近藤勇首塚 1868年4月25日に江戸板橋で斬首された近藤勇の首は京都に運ばれ三条大橋西詰に晒された。伝承によると、近藤の首は新京極裏寺町の宝蔵寺住職・称空義天の許に届けられたとされるが、称空義天が直前に法蔵寺の住職となっていたため、ここに届けられたという。
K‐AC101 松平家と三方ヶ原合戦忠死者墓所 松平広忠,松平忠政をはじめとする松平家の墓10基と、夏目吉信,鳥居忠広はじめ1572年の三方ヶ原合戦での戦死者の墓16基、そのほかにも他の戦いでの戦死者の墓が並ぶ。
K‐AC102

本多忠豊墓所

〔妙源寺〕

1545年9月20日、安祥城をめぐる織田信秀との第二次安城合戦で、本多忠豊は敗北した松平広忠を逃がすために殿軍を務めて討死した。三河国乗子の大中寺に葬られたが、後に妙源寺に改葬された。戦死地にも本多忠豊墓碑が建てられている。
K‐AC103

本多忠高墓所
〔妙源寺〕

1549年3月、第三次安城合戦で先鋒となった本多忠高は大久保忠俊らとともに夜襲をかけ戦果を収めたが、翌日の戦いで城の主郭まで深入りし敵の矢に当たって討死した。戦死地にも本多忠高墓碑が建てられている。
K‐AC104

高木清秀墓所
〔妙源寺〕

高木清秀は水野信元,佐久間信盛,織田信長に仕えた後、徳川家康と主従関係を結び、徳川十六神将の一人に数えられた。1610年7月13日に没し妙源寺に埋葬された。
K‐AC105

安藤直次墓所
〔妙源寺〕

安藤直次は幼少期より徳川家康に仕え多くの戦いで活躍した。また、家康の側近として初期幕政を取り仕切り、徳川頼宣付の家老も務めた。遠江掛川城主,紀州田辺城主となった後、1635年5月13日に没し妙源寺に埋葬された。
K‐AC106 鳥居忠宗墓所 1547年、織田信秀と結んで宗家乗っ取りを企てた松平信孝と宗家松平広忠との渡の戦いで奮戦し討死した。鳥居忠宗の墓は渡城跡西の鳥居氏一族発祥地にあり、横には1601年に没した鳥居重久の墓が並ぶ。
K‐AC107

中根氏祖代々墓所

〔聖徳寺〕

正長年間に中根盛清が築いた箱柳城跡近くの聖徳寺の一画にある。1990年8月に山に散在していた墓石を拾い集めて調査した結果、鎌倉時代の豪族の墓と判明したため、中根氏祖の墓所として本尊であった観音堂前に祀り供養した。
K‐AC108 奥平貞勝墓所 今川・織田・徳川・武田の4勢力に囲まれ、波乱に満ちた戦国時代を生き抜いた奥平貞勝の墓である。1570年秋の久保城の密談で貞勝は少数派とともに武田氏服属を決定するが、武田氏滅亡で三河額田郡に隠棲し出家し1595年に享年84で没した。
K‐AC109 松平乗清墓所 三河国加茂郡滝脇を領し滝脇松平家の祖となった松平乗清の墓。1526年、麻生城を子の親正に譲り没したとされる。江戸時代後期にはその所在は不明となっていたが、探索の結果、ここ杉の平で発見されたという。
K‐AC110

松平正忠墓所
〔阿弥陀寺〕

阿弥陀寺には乗清から麻生松平氏4代目の松平正忠とその奥方,長男の正秀の墓がある。正忠は1584年の小牧長久手の戦いでの蟹江城合戦にて討死した。
K‐AC111 松平助十郎御先祖墓所 麻生松平氏の最後の領主で1615年の大坂夏の陣で討死した助十郎正勝はじめ、30余基の墓石が並ぶ。阿弥陀寺の記録では、この墓所は1617年に家臣の小畑叉左衛門が建立したと伝えられる。
K‐AC112

奥平一族墓所
〔広祥院〕

今川・織田・徳川・武田の四勢力に囲まれ、一族でも敵味方となりながら戦国時代を生き抜いた奥平氏の墓所である。広祥院後方の小高い個所に向かって右から奥平貞昌(のちの信昌),貞勝,貞直(貞勝の弟),貞能(貞勝の子)の五輪塔が並ぶ。
K‐AC113

松平広忠墓所

〔広忠寺〕

1562年に松平元康が父・松平広忠の菩提を弔うために創建した広忠寺にある。広忠の墓を挟んで側室・於久の方(大給松平乗正娘)とふたりの子である松平忠政の墓が並ぶ。
K‐AC114

大沼城主供養塔
〔代官屋敷跡〕

代官屋敷内にある大沼城主に関する供養塔である。この中の二基は大沼城主の松平近清が建立したものといわれ、松平親忠,松平乗正の供養塔である。ほかの一基は近清の嫡子近正のもので、後世に地元の方によって建立されたものとされる。
K‐AC115

細川城主墓所

〔蓮性院〕

蓮性院には細川城主の細川義季,細川頼之,松平親忠,松平信乗らの墓所がある。足利義季は、承久の乱後、上野国から三河国額田郡細川郷に移り、地名から細川義季と名乗り細川家の始祖となった。
K‐AC116

大給松平氏墓所
〔松明院〕

松明院境内に大給松平氏の墓石が3つ並ぶ。大給松平氏の始祖となった松平乗元松明院を大給から細川郷へ移転させた5代の松平真乗の墓である。松平乗元の墓は大給城跡にも建てられている。
K‐AC117 保久城主山下家墓所 万福寺の東北の裏山裾の道路沿いに宝篋印塔が20基ほど並ぶ。山下氏は義道(義通)のときに下野国から三河国に移り、足利将軍家奉公衆の三河四人衆の一家となる。子の義村が山下姓に改め初代となった。一連の宝篋印塔には関東型と関西型が見られる。
K‐AC159 酒井広親石宝塔 酒井氏の始祖とされる酒井広親の石宝塔。基壇の一面に1459年3月12日の銘文が残されている。岡崎市立岩津小学校の西に建つ。
K‐AC160 酒井正親墓所 1576年6月6日、56歳で病死した酒井正親の墓所。龍海院の本堂裏の丘の中腹にある。正親は松平清康,広忠,徳川家康の3代に仕えた。
K‐AC161 真喜の方墓所 戸田康光の娘で、松平広忠が於大の方と離縁後に広忠の後室すなわち徳川家康の継母となった真喜の方の墓所。1572年3月30日に亡くなった。龍海院の本堂裏の丘の中腹にある。
西尾市 K‐AC017 正法寺古墳 工事中
K‐AC018

今川了俊供養塔
〔今川城跡〕

今川城跡にある1420年8月に亡くなったとされる今川了俊(貞世)の供養塔である。1749年に建立されたものである。
K‐AC019

吉良満義墓所
〔花岳寺〕

工事中
K‐AC020

吉良義央墓所
〔華蔵寺〕

工事中
K‐AC021

 松平家忠,義春墓所
〔花岳寺〕

工事中

額田郡
幸田町

K‐AC023 丸山古墳 古墳時代中期5世紀後半築造で大岩山から北に延びる丘陵のひとつをそのまま利用して築いた二段築成の直径約40mの円墳である。石材の厚さから横穴式石室と推測される。被葬者は不明である。
K‐AC024 西郷稠頼,高力清長墓所 西郷氏の菩提寺である正楽寺にある。西郷稠頼は正楽寺を建立し、のちの岡崎城となる砦を築き14世紀後半に亡くなっている。高力清長は三河三奉行の一人として活躍した。「仏高力」の異名をつけられた。1608年に亡くなっている。
K‐AC025 夏目吉久,吉信,吉為墓所 明善寺にある三方ヶ原の戦いで徳川家康の身代わりとなって戦死した夏目吉信と父・吉久,長男・吉為の墓である。
蒲郡市 K‐AC016 三月田第2,3古墳 工事中
豊川市 K‐AC062

今川義元墓所

〔大聖寺〕

K‐AC063

一色時家墓所
〔大聖寺〕

K‐AC064 船山古墳 工事中
新城市 K‐AC030

鳥居強右衛門勝商墓所
〔新昌寺〕

K‐AC031

馬場信房墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC032

真田信綱,昌輝兄弟墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC033

内藤昌豊墓所

〔長篠古戦場〕

K‐AC034

山本信供墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC035

高坂昌澄墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC036

土屋昌次墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC037

甘利信康墓所

〔長篠古戦場〕

K‐AC038

原昌胤墓所

〔長篠古戦場〕

K‐AC039

山県昌景,昌次墓所

〔長篠古戦場〕

K‐AC040

小幡信貞墓所

〔長篠古戦場〕

K‐AC055 奥平貞盛墓所 工事中
K‐AC056 松平親盛墓所 工事中
K‐AC061

近藤家墓所
〔冨賀寺〕

1802年に金指近藤寿用が再建した。右端から近藤家の先祖とされる近藤秀乗(秀兼?),乗満,直満,満乗の4名を祀った石塔、宇利城主となった近藤満用とその子息の乗直,忠用の4つの石塔が並ぶ。
K‐AC065 断上山古墳 工事中
K‐AC066

高坂助宣墓所

〔長篠古戦場〕

K‐AC067

和気宗勝,高坂助宣,横田康景,小山田昌晟墓所

〔長篠古戦場〕

K‐AC068

禰津是広,常田春清,鎌原之綱墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC069

岡部竹雲斎,岩手胤秀墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC070

川窪詮秋,土屋直規,望月重氏墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC071

五味貞氏墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC072

横田綱松墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC073

米倉正継墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC074

堀無手右衛門墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC075

笠井満秀墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC076

三枝守友,守義兄弟墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC077

高森恵光寺快川墓所

〔長篠古戦場〕

K‐AC078

瀧川助義墓所

〔長篠古戦場〕

K‐AC079

馬場勝行墓所

〔長篠古戦場〕

K‐AC080

樋口兼周墓所
〔長篠古戦場〕

K‐AC081 山本信供墓所
K‐AC082

鳥居強右衛門墓所

〔甘泉寺〕

K‐AC083

亀姫墓所
〔大善寺〕

K‐AC084

菅沼家歴代墓所
〔宗堅寺〕

K‐AC085 山本勘助晴幸墓所 工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
関ヶ原市 K‐GF001 常盤御前墓所 1186年、常盤御前は侍女と共に源義経を追いかけ関東へ向かう途中に、この辺りで土賊に襲われ命を落としたのだという。亡骸は村人たちによって埋葬された。
岐阜市 K‐GF002 琴塚古墳 全長115m、後円部直径69m,高さ10.5m、前方部幅74.2m,高さ7.5mと岐阜県内では3番目の規模の前方後円墳。5世紀頃の築造と推定され、被葬者は景行天皇の后の五十琴姫命と伝えられており、琴塚の名もこれに由来する。
大垣市 K‐GF003 土岐悪五郎康貞墓所 土岐頼清の子で美濃守護・土岐頼康の弟である土岐康貞の墓所。墨俣城近くにある明台寺の墓地の東側にある。延元/正平年間に久々利城を築いている。通称「悪五郎」の「悪」は剛の者,強い人を意味し、その武勇を称えた呼び名である。
K‐GF014

島津豊久墓所
〔関ヶ原古戦場〕

1600年、島津豊久は関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れて島津軍の殿を務めながら退却したが烏頭坂で深手を負い白拍子谷で自刃した。墓所は瑠璃光寺の東にある。
可児市 K‐GF004 千村家墓所 工事中
K‐GF005 八坂入彦命墓所 美濃国を開拓し長きにわたって統治していたとされる八坂入彦命の墓。大萱古墳とも呼ばれている。八坂入彦のふたりの娘、姉の八坂入姫と妹の弟姫と景行天皇との伝承が泳宮に残されている。
K‐GF006

明智一族墓所
〔天龍寺〕

明智城跡のある山の麓にあり、明智一族の菩提寺とされる天龍寺の一画にある。小さな墓石群であり、明智城跡にあったものを集めて整備したといわれ、明智氏のものである確証はないらしい。
K‐GF007 身隠山御嶽古墳 隣接する身隠山白山古墳と合わせて身隠山古墳群と呼ばれている。築造年代は古墳時代前期末頃4世紀後半とされ、身隠山白山古墳よりやや遅い時期と考えられている。推定直径約36m,高さ約4.5mの二段築成の円墳である。
K‐GF008 身隠山白山古墳 隣接する身隠山御嶽古墳と合わせて身隠山古墳群と呼ばれている。築造年代は古墳時代前期後半4世紀後半とされ、同市内の長塚古墳と同時期、身隠山御嶽古墳よりやや早い時期と考えられている。推定直径約42m,高さ約4.5mの二段築成の円墳である。
K‐GF009 熊野古墳 墳丘規模は直径約30m,高さ約5mの円墳で、7世紀前半の後期古墳であったと推定されている。可児地域屈指の巨石を利用した石室や納められた金銅装大刀から判断して、この地域の首領級の墳墓であると考えられる。石室上部が大きく露呈している。
K‐GF010 長塚古墳 隣接する野中古墳,西寺山古墳とともに「前波の三ツ塚」と俗称されている。西寺山古墳→野中古墳→長塚古墳の順に築造されたと考えられている。本古墳は全長81m,高さ5.9mと東濃地方では最も大きい古墳時代中期(4世紀後半)築造と推定される前方後円墳である。
K‐GF011 西寺山古墳 「前波の三ツ塚」のひとつ。埋葬者は4世紀に可児地域に大きな権力を持った首長であろう。全長60m,前方部26m,後方部34mの前方後方墳である。
K‐GF012 野中古墳 「前波の三ツ塚」のひとつ。全長62m,後円径38.4m,頂径9m,前方幅36.5m,前方長30mと推定される前方後円墳である。現在は、墳丘の1/4程度しか残されていない。
美濃加茂市 K‐GF013 夕田茶臼山古墳 墳丘長39.5m、後円部は不整形な円形で直径24.5m,くびれ部幅10.5m、前方部は長さ15m,前面幅15.1mの左右非対称な前方後円墳である。3世紀前半頃の築造と推定される県下最古級の遺跡といわれ、早い段階にこの夕田付近に権力を持つ有力者が誕生していたことがうかがわれる。
恵那市 K‐GF015 明智光秀御霊廟 龍護寺の山門の手前に設けられている。1582年、落命したとされる明智光秀の供養塔である。光秀に関する碑は「悲痛な思い」でことごとく割れるという通説があり、この供養塔も斜めに大きくひびがはいっているという。
K‐GF016 遠山氏累代墓所 二座の如意輪観音菩薩像と遠山景行はじめ初代ら10代までの明智領主遠山氏の墓所である。龍護寺境内にある。
K‐GF017 於牧の方墓所 1579年に丹波国で磔にされたとする明智光秀の母・於牧の方の墓所である。1743年に建てられた。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
津市 K‐ME001 土田御前墓所 1594年1月7日に亡くなった織田信秀の継室で信長,信行,秀孝,信包,於市,於犬の生母の墓である。津市の塔世山四天王寺にある。1590年に信雄が改易された後は伊勢国安濃津の信包のもとに引き取られ同地で死去した。
K‐ME005 藤堂高虎久芳夫人墓所 津市の塔世山四天王寺にある一色義直の娘で藤堂高虎の室となった久芳院の墓所である。1616年8月20日、津城で亡くなり四天王寺に葬られた。
松阪市 K‐ME002 六代墓所 工事中
K‐ME004 滝之川古墳 真性寺山に築城された石室が片袖式の横穴式石室墳である。被葬者は定かではないが、かま,こしき一式などが出土したことから渡来系氏族の可能性もある。手前の1号石組は祭祀遺跡と推測される。
桑名市 K‐ME003 久松松平家一統墓所 工事中

 

北陸

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
大野市 K‐FU001 朝倉義景墓所 工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
珠洲市 K‐IK001 平時忠墓所 工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐TY001

 

近畿

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
大津市 K‐SG001 弘文天皇長等山前陵 工事中
K‐SG002 今井兼平墓所 工事中
K‐SG003

源義光墓所
〔新羅善神堂〕

工事中
K‐SG006

天海大僧正廟所
〔慈眼堂〕

工事中
K‐SG010

明智光秀一族墓所
〔西教寺〕

K‐SG011

長谷川藤広墓所
〔西教寺〕

K‐SG012 穴太野添古墳群 工事中
K‐SG017 真野古墳 工事中
K‐SG018

真盛上人廟所
〔西教寺〕

近江八幡市 K‐SG004 瓢箪山古墳 工事中
東近江市 K‐SG005 磐坂市辺押磐皇子墓所 工事中
米原市 K‐SG007

土肥元頼墓所
〔蓮華寺〕

K‐SG008

北条仲時一行墓所
〔蓮華寺〕

犬上郡
甲良町

K‐SG009

佐々木道誉墓所
〔勝楽寺〕

工事中
高島市 K‐SG013 打下古墳 工事中
長浜市 K‐SG014 茶臼山古墳
K‐SG015

遠藤直経墓所
〔姉川古戦場〕

K‐SG016 石田三成一族,家臣供養塔

 

所在地 No. 史跡名

ワンポイント・メモ

指定
京都市 K‐KT001 建礼門院陵 工事中
K‐KT002 小督塚 工事中
K‐KT003 後鳥羽天皇大原陵 工事中
K‐KT004 順徳天皇大原陵 工事中
K‐KT006 禎子内親王陵 工事中
K‐KT007 堀河天皇後円教寺陵 工事中
K‐KT008 光孝天皇後田邑陵 工事中
K‐KT009 円融天皇御火葬所 工事中
K‐KT010 後冷泉天皇円教寺陵 工事中
K‐KT011 後朱雀天皇円乗寺陵 工事中
K‐KT012 後三条天皇円宗寺陵 工事中
K‐KT013 一条天皇円融寺北陵 工事中
K‐KT014 宇多天皇大内山陵 工事中
K‐KT015 藤原乙牟漏高畠陵 工事中
K‐KT016 法然上人廟所〔知恩院〕 工事中
K‐KT017 千姫墓所〔知恩院内〕 工事中
K‐KT018

坂本龍馬墓所
〔霊山護国神社〕

工事中
K‐KT019

中岡慎太郎墓所
〔霊山護国神社〕

工事中
K‐KT020

高杉晋作墓所
〔霊山護国神社〕

工事中
K‐KT021 池田屋事件殉難烈士墓所 工事中
K‐KT022 明智光秀首塚 工事中
K‐KT023

文覚上人墓所
〔神護寺〕

工事中
K‐KT024

惟仁親王墓所
〔神護寺〕

工事中
K‐KT025 小野篁墓所 工事中
K‐KT026 紫式部墓所 工事中
K‐KT027 媞子内親王火葬塚 工事中
K‐KT028

本阿弥光悦墓所
〔光悦寺〕

K‐KT029 朱雀天皇醍醐陵 工事中
K‐KT030 醍醐天皇後山科陵 工事中
K‐KT031 桓武天皇柏原陵 工事中
K‐KT032 明治天皇伏見桃山陵 工事中
K‐KT033 昭憲皇太后伏見桃山東陵 工事中
K‐KT034 光明天皇大光明寺陵 工事中
K‐KT035 崇光天皇大光明寺陵 工事中
K‐KT036 後伏見天皇皇玄孫治仁王墓所 工事中
K‐KT037 仁明天皇深草陵 工事中
K‐KT038 仲恭天皇九條陵 工事中
K‐KT039 崇徳天皇皇后聖子月輪南陵 工事中
K‐KT040 守脩親王墓所 工事中
K‐KT041 淑子内親王墓所 工事中
K‐KT042 朝彦親王墓所 工事中
K‐KT043 賀陽宮・久邇宮墓所 工事中
K‐KT044 後堀河天皇観音寺陵 工事中
K‐KT045 冷泉天皇櫻本陵 工事中
K‐KT046 後一条天皇菩提樹院陵 工事中
K‐KT047 章子内親王菩提樹陵 工事中
K‐KT048 後水尾天皇髪歯塚 工事中
K‐KT049 陽成天皇神楽岡東陵 工事中
K‐KT050

山名宗全墓所
〔真乗院〕

工事中
K‐KT051 後白河天皇法住寺陵 工事中
K‐KT052 四条天皇月輪陵 工事中
K‐KT053 後水尾天皇月輪陵 工事中
K‐KT054 明正天皇月輪陵 工事中
K‐KT055 後光明天皇月輪陵 工事中
K‐KT056 後西天皇月輪陵 工事中
K‐KT057 霊元天皇月輪陵 工事中
K‐KT058 東山天皇月輪陵 工事中
K‐KT059 中御門天皇月輪陵 工事中
K‐KT060 桜町天皇月輪陵 工事中
K‐KT061 桃園天皇月輪陵 工事中
K‐KT062 後桜町天皇月輪陵 工事中
K‐KT063 後桃園天皇月輪陵 工事中
K‐KT064 光格天皇後月輪陵 工事中
K‐KT065 仁孝天皇後月輪陵 工事中
K‐KT066 陽光太上天皇月輪陵 工事中
宇治市 K‐KT005

源頼政墓所
〔宇治平等院〕

工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
奈良市 K‐NR005 鑑真和上廟所 工事中
K‐NR006 重源上人墓所 工事中
K‐NR016 垂仁天皇菅原伏見陵 工事中
K‐NR044

柳生家墓所
〔芳徳寺〕

工事中
K‐NR045 光仁天皇田原東陵 工事中
K‐NR046 太安万侶墓所 工事中
K‐NR062 聖武天皇佐保山南陵 工事中
K‐NR063 仁正皇后佐保山東陵 工事中
K‐NR064 元正天皇奈保山西陵 工事中
K‐NR065 元明天皇奈保山東陵 工事中
K‐NR066

平城天皇楊梅陵
(市庭古墳)

工事中
K‐NR067 成務天皇狹城盾列池後陵 工事中
K‐NR068

孝謙,称徳天皇高野陵
(佐紀高塚古墳)

工事中
K‐NR069

日葉酢媛命陵
(佐紀陵山古墳)

K‐NR070

磐之媛命陵
(ヒシアゲ古墳)

K‐NR071

コナベ古墳
(小奈辺陵墓参考地)

K‐NR072

ウワナベ古墳
(宇和奈辺陵墓参考地)

K‐NR073

大山守命那羅山墓
(境目谷古墳)

工事中
K‐NR074 崇道天皇八島陵
K‐NR075 佐紀瓢箪山古墳
K‐NR076 塩塚古墳
K‐NR077

開化天皇春日率川坂上陵
(念仏寺山古墳)

工事中
K‐NR078 島左近(嶋清興)墓所 工事中
K‐NR079 安康天皇菅原伏見西陵 工事中
K‐NR080

神功皇后狹城盾列池上陵
(五社神古墳)

工事中
橿原市 K‐NR011 孝元天皇剣池嶋上陵
K‐NR037 神武天皇畝傍山東北陵 工事中
K‐NR038 綏靖天皇桃花鳥田丘上陵 工事中
K‐NR039 安寧天皇畝傍山西南御陰井上陵 工事中
K‐NR040 懿徳天皇畝傍山南繊沙渓上陵 工事中
K‐NR041 見瀬丸山古墳 工事中
K‐NR081

宣化天皇身狹桃花鳥坂上陵
(鳥屋ミサンザイ古墳)

工事中
K‐NR082 桝山古墳 工事中
桜井市 K‐NR003 大伴皇女忍坂内墓 工事中
K‐NR012

箸墓
(倭迹迹日百襲姫墓所)

工事中
K‐NR014

舒明天皇忍坂内陵
(段ノ塚古墳)

工事中
K‐NR017 崇峻天皇倉梯岡陵 工事中
K‐NR032 文殊院東古墳
K‐NR033 文殊院西古墳
K‐NR054 鏡女王忍阪墓
K‐NR055 藤原鎌足墓所 工事中
K‐NR056 艸墓古墳
K‐NR057 スメリ山古墳 工事中
K‐NR058 珠城山古墳 工事中
K‐NR059 茅原大墓古墳 工事中
K‐NR060 巻野内石塚古墳 工事中
K‐NR061 赤坂天王山古墳 工事中
天理市 K‐NR010

景行天皇山辺道上陵
(渋谷向山古墳)

K‐NR018

崇神天皇山辺道勾岡上陵
(行燈山古墳)

K‐NR020

手白香皇女衾田陵
(西殿塚古墳)

工事中
K‐NR035 上の山古墳 工事中
K‐NR047 櫛山古墳 工事中
K‐NR048 黒崎古墳 工事中
K‐NR049 中山大塚古墳 工事中
K‐NR050 西山古墳 工事中
K‐NR051 西乗鞍古墳 工事中
K‐NR052 小墓古墳 工事中
K‐NR053 燈籠山古墳 工事中

高市郡
明日香村

K‐NR001 石舞台古墳 工事中
K‐NR004 大伴夫人墓所 工事中
K‐NR007 吉備姫王墓
K‐NR008 欽明天皇檜隈阪合陵
K‐NR015 南淵請安墓所
K‐NR019 高松塚古墳 工事中
K‐NR022 天武・持統天皇大内陵 工事中
K‐NR024 中尾山古墳 工事中
K‐NR027 都塚古墳
K‐NR029 文武天皇桧隈安古岡上陵 工事中
K‐NR034 蘇我入鹿首塚 工事中
K‐NR036 キトラ古墳 工事中
K‐NR042 真弓鑵子塚古墳 工事中
K‐NR043 牽午子塚古墳 工事中
K‐NR083 マルコ山古墳 工事中

高市郡
高取町

K‐NR084 束明神古墳 工事中
K‐NR085 齊明天皇越智崗上陵 工事中
K‐NR086 大田皇女墓所 工事中
K-NR096 市尾宮塚古墳 工事中
大和郡山市 K‐NR021 筒井順慶墓所 工事中
御所市 K‐NR087 孝安天皇玉手丘上陵 工事中
K‐NR088 日本武尊白鳥陵 工事中
K‐NR090 孝昭天皇掖上博多山上陵 工事中
K‐NR094 室宮山古墳 工事中
K‐NR095 室ネコ塚古墳 工事中
K‐NR097 葛城氏墓所 工事中
香芝市 K-NR092 顯宗天皇傍丘磐坏丘南陵 工事中
K‐NR093 武烈天皇傍丘磐坏丘北陵 工事中
葛城市 K‐NR002 大津皇子墓所 工事中
K‐NR009 首子古墳群(首子塚) 工事中
K‐NR023 鳥谷口古墳 工事中
K‐NR091 飯豊天皇埴口丘陵陵 工事中

生駒郡
平群町

K‐NR025 長屋王墓所 工事中
K‐NR026 吉備内親王墓所 工事中
K‐NR089 西宮古墳 工事中

生駒郡
斑鳩町

K‐NR030 山背大兄王墓所 工事中

吉野郡
吉野町

k‐NR013 後醍醐天皇陵 工事中
K‐NR028 村上義隆墓所 工事中
K‐NR031 横川覚範首塚 工事中

 

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐WK001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
堺市 K‐OS013

仁徳天皇百舌鳥耳原中陵

(大仙陵古墳)

K‐OS014

履中天皇百舌鳥耳原南陵

(上石津ミサンザイ古墳)

K‐OS015

反正天皇百舌鳥耳原北陵

(田出井山古墳)

K‐OS016 ニサンザイ古墳
K‐OS017 御廟山古墳
K‐OS018 いたすけ古墳
K‐OS019 永山古墳
K‐OS020 丸保山古墳
K‐OS021 竜佐山古墳
K‐OS022 収塚古墳
K‐OS023 孫太夫山古墳
K‐OS024 善右ヱ門山古墳
K‐OS025 銅亀山古墳
枚方市 K‐OS029 王仁墓所
高槻市 K‐OS001 今城塚古墳 工事中
四條畷市 K‐OS007 楠木正行墓所 工事中
羽曳野市 K‐OS005 源 頼義墓所
K‐OS039 大塚山古墳 工事中
K‐OS040

雄略天皇丹治高鷲原陵
(島泉丸山古墳)

工事中
K‐OS043 峯ヶ塚古墳 工事中
K‐OS044

清寧天皇河内坂門原陵
(白髪山古墳)

工事中
K‐OS045

白鳥陵古墳
(軽里大塚古墳)

工事中
K‐OS046

安閑天皇古市高屋丘陵
(高屋築山古墳)

工事中
K‐OS047 墓山古墳 工事中
K‐OS048 応神天皇恵我藻伏崗陵 工事中
K‐OS053 小口山古墳 工事中
藤井寺市 K‐OS041

仲哀天皇恵我長野西陵
(岡ミサンザイ古墳)

工事中
K‐OS042

仁賢天皇埴生坂本陵
(ボケ山古墳)

工事中
K‐OS049 大鳥塚古墳 工事中
K‐OS050 仲津山古墳 工事中
K‐OS051 古室山古墳
K‐OS052

允恭天皇恵我長野北陵
(市ノ山古墳)

工事中
茨木市 K‐OS026 継体天皇三嶋藍野陵 工事中

南河内郡
太子町

K‐OS003

厩戸皇子廟所
〔叡福寺〕

K‐OS004 源 頼信墓所
K‐OS006 源 義家墓所
K‐OS009

孝徳天皇磯長陵

(山田上ノ山古墳)

K‐OS010

推古天皇磯長山田陵

(山田高塚古墳)

K‐OS030 二子塚古墳
K‐OS031

敏達天皇河内磯長中尾陵
(太子西山古墳)

工事中
K‐OS032

用明天皇河内磯長原陵
(春日向山古墳)

工事中
K‐OS033 小野妹子墓所
K‐OS034

仏陀寺古墳

(伝蘇我倉山田石川麻呂墓所)

K‐OS036 尼ヶ谷古墳 工事中
K‐OS037 松井塚古墳 工事中
K‐OS038 大僧正隆光墓所 工事中

南河内郡
河南町

K‐OS027 西行墓所〔弘川寺内〕
K‐OS028 似雲墓所〔弘川寺内〕
K‐OS035 金山古墳 工事中

南河内郡
千早赤阪村

K‐OS008 楠木正儀墓所 工事中
河内長野市 K‐OS011 後村上天皇檜尾陵 工事中
K‐OS012 新待賢門院(阿野廉子)墓所 工事中

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐HG001

 

中国

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐OY001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐HS001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐TT001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐SN001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐YC001

 

四国


所在地 No. 史跡名

ワンポイント・メモ

指定

板野郡
藍住町

K‐TS001

三好氏歴代墓所
〔見性寺〕

勝瑞城跡,見性寺内にある。江戸時代中期に各所にあった墓をここに移転してきたものである。三好之長,元長,実休,長治の墓が並ぶ。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
高松市 K‐KG002 生駒親正墓所 1603年2月13日に78歳で高松城にて死去した生駒親正の墓所のひとつである。1595年には讃岐国17万1800石を与えられ高松城,丸亀城を築き城下町を整えた。
K‐KG004 石清尾山2号墳 石清尾山古墳群のなかで両袖型の横穴式石室をもつ直径約10m,高さ約2mの円墳である。古墳時代後期の6世紀末~7世紀初頭の築造と推定される。
K‐KG005 猫塚古墳 石清尾山古墳群の中で全長約96m,高さ約5mと最大規模を誇り、かつ古墳時代前期4世紀前半の築造と最も古い。種類は全国でも非常に珍しい双方中円墳の積石塚である。
K‐KG006 姫塚古墳 石清尾山古墳群に属する全長約43m,高さ約3.6mの積石塚の前方後円墳である。首長の娘の墓という伝承があり、4世紀前半の築造と推定される。

綾歌郡
宇多津町

K‐KG003

聖通寺山古墳
(積石塚古墳)

古墳時代前期(約4~5世紀)頃の築造と推定される円墳である。現状規模は直径約12m,高さ約2m。積み石による積石塚で全国的にも特にこの讃岐に多く分布する。被葬者はこの地域に関係の深い有力首長と推定される。
さぬき市 K‐KG001 富田茶臼山古墳 四国で最大規模の前方後円墳である。築造時期は5世紀前半頃と推定され、畿内色が強く、ヤマト王権と強く結び付いた被葬者が東讃地域に強い勢力を有するようになったことを示唆する。
K‐KG007 平賀源内墓所 平賀源内は1780年12月18日に投獄中に破傷風により獄死したとされる。墓所は浅草橋場にあった総泉寺に設けられたが、ここは源内の義弟によって建てられた墓と伝えられる(異説あり)。

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐EH001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
高知市 K‐KC001 板垣退助墓所 工事中

 

九州・沖縄

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐FK001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐SA001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐NS001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐OT001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐KM001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐MZ001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐KS001

 

所在地 No. 史跡名 ワンポイント・メモ 指定
K‐OK001

 

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