北方陣屋跡

きたかたじんやあと (Kitakata Jinya Ruins)

【R-GF003】探訪日:2015/9/5

【R-GF003】北方陣屋跡 岐阜県本巣郡北方町北方274

【MAP】

〔駐車場所〕

   1668(寛文8)年、美濃国加納藩藩主松平光重の三男である旗本戸田光直(光賢)に分知された5,000石の陣屋である。美濃国席田郡の8ヶ村を所領していた。この陣屋は戦国時代に存在した北方城の城跡の一部を使用しており、現在の大井神社の南一帯といわれている。役所を中心に米庫,道場,学問所(化成庠)などがあり、その周囲に奉行,代官などの家臣の屋敷が置かれていた。1869(明治2)年に7代光遠が版籍奉還するまで存続する。陣屋の建物のうち、陣屋門は本願寺岐阜別院の裏門として移築されている。

【史跡規模】

【指 定】町指定史跡(1955年9月30日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 江戸時代:前期 明治時代
関連年号 1668年 1869年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
戸田光重 F530 戸田光直(光賢) F530 戸田光遠 F530

 

【R-GF003】北方陣屋跡  
 

 

【R-GF003】北方陣屋跡

 

   

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【R-GF003】北方陣屋跡

【R-GF003】北方陣屋跡

【R-GF003】北方陣屋跡

▲陣屋北〆切門跡

【R-GF003】北方陣屋跡

▲代官屋敷跡

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▲代官屋敷跡

【R-GF003】北方陣屋跡

▲奉行屋敷跡

【R-GF003】北方陣屋跡

【R-GF003】北方陣屋跡

▲陣屋南〆切門跡