桶狭間古戦場伝説地
おけはざまやまこせんじょう でんせつち(Legendary Historic Battlefield of Okehazama)
【B-AC001b02】探訪日:2014/8.30・2021/3.11
愛知県豊明市栄町南舘11
【MAP】
〔駐車場所〕
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1560(永禄3)年5月19日、桶狭間の戦いで今川義元が戦死した所とされる。
この地は当時、田楽狭間,舘狭間,田楽の久保,桶狭間と呼ばれ、南に桶狭間山,北に太子ヶ根,東に尾崎山、そして西に高徳院の山に囲まれた狭間で、今川義元が仮本陣を設営し織田信長による奇襲を受けた所との伝説がある。
1937(昭和12)年、文化庁が江戸時代から今川義元本陣跡と戦死場所と言われていたこの地にある史跡を調査、さらに古文書や古地図等を検討して国指定史跡とした。
なかでも最も古い史跡が七石表で、1771(明和8)年12月に尾張藩士の人見与衛門,赤林孫七郎によって建てられた。全部で7本あり、一号碑は今川義元戦死所に、二号碑は松井宗信戦死所に、三~七号碑は今川武将5人(特定できず)の戦死所に建てられている。また、弔古碑は1809(文化6)年に津島神社の神主・氷室豊永(松井宗信の子孫)が戦いの状況を記し建てたものである。桶狭間山の北に本陣を置いたと書かれている。今川義元の墓碑は、通りかかる旅人が弔古碑を墓と間違えるため、1876(明治9)年にあらためて建てたものという。
なお、義元戦死所については名古屋市の桶狭間古戦場公園(田楽坪)もその候補に挙げられている。