井伊直親墓所
いいなおちか ぼしょ(Grave of Naochika Ii)
【K-SZ018】探訪日:2017/8/18
静岡県浜松市北区細江町中川1862
【MAP】
〔駐車場所〕
1544(天文13)年、小野政直の讒言によって父を今川義元に誅殺された幼少の井伊直親は、家臣に連れられ井伊谷から信濃国伊那郡松源寺へ出奔。成人した後、1555(弘治元)年に井伊谷への帰参が叶うと、祝田を拠点とし、奥山朝利の娘の奥山ひよを妻とした。1560(永禄3)年、養父の直盛が桶狭間の戦いで戦死したため、家督を継ぐ。しかし、小野道好(政次)の讒言により、主君の今川氏真から松平元康との内通の疑いを受け、陳謝のために駿府へ向かう道中の1563(永禄5)年12月14日(1563年1月8日)または同年3月2日、掛川にて今川家重臣・朝比奈泰朝の襲撃を受けて殺害された。遺骸はこの地に運ばれ都田河畔で火葬された。享年27。墓はもともと現在位置から200mほど東にあった。
1851(嘉永4)年、井伊直弼が墓参に訪れた際に1対の灯篭を寄進している。
なお、同時代史料を見ると直親は実在した形跡がなく、後世に作成された系図で初めて存在が見られるとし、その存在を疑問視する説もある。