志度寺

しどじ (Shido-ji Temple)

【T-KG004】探訪日:2019/7/20

【T-KG004】志度寺 香川県さぬき市志度1102 <📲:087-894-0086>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-KG004】志度寺

   縁起によれば、626(推古天皇33)年、志度浦にたどり着いた檜の霊木を凡薗子尼(智法尼とも)が草庵へ持ち帰り安置し、その霊木から本尊・十一面観音を造立し、小さな堂を建て祀ったのが始まりとされる。
 681(天武天皇10)年、藤原不比等が堂宇を増築し「死度道場」と名づけたという。また、693(持統天皇7)年には不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立し寺名を「志度寺」に改めたと伝えられている。その後、弘仁年間(810~23年)に空海が伽藍の修理にあたっている。
 室町時代には四国管領の細川氏が代々寄進を行うことで繁栄し、室町後期になると敷地内および近隣に多くの僧坊や支院末寺を塔頭として抱えた。のちの戦乱により寺院は荒廃したが、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて高松藩主の生駒親正による支援などを得て多くの僧坊が復興した。さらに、1671(寛文10)年の高松藩主・松平頼重の本堂,仁王門寄進に伴い、僧坊も改めて再編され圓通寺,自性院(当地出身の平賀源内の墓所がある)など複数の塔頭寺院が独立するに至る。
 仁王門(国重文)をくぐり進むと、境内には鐘楼堂,閻魔堂,奪衣婆堂,大師堂そして本堂(国重文)が建つ。五重塔は1975(昭和50)年に落成したものである。北側には生駒親正墓所と、藤原不比等と恋仲になった伝説の海女の墓がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】・本堂(附:棟札2枚)/仁王門
     ・木造十一面観音立像及び両脇侍(不動明王立像,毘沙門天)立像
     絹本著色十一面観音像

     ・絹本著色志度寺縁起 6幅(附:紙本墨書志度寺縁起等付属文書9巻)

関連時代 飛鳥時代 平安時代:前期 江戸時代:前期
関連年号 626年・681年・693年 810~23年 1671年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
凡薗子尼 **** 藤原不比等 F001 藤原房前 F301
行基 **** 空海 SE01 生駒親正 F***
松平頼重 MT** 平賀源内 ****

 

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【T-KG004】志度寺 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲自性院

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▲仁王門

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▲本堂

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▲太子堂

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▲閻魔堂

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▲【Wikipediaより転載】奪衣婆堂

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▲五重塔

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▲生駒親正墓所

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▲海女の墓

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