浄智寺

じょうちじ(Jochi-ji Temple)

【T-KN004】探訪日:2008/4/30

【T-KN004】浄智寺 神奈川県鎌倉市山ノ内1402 <📲:0467-22-3943>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-KN004】浄智寺

   1281(弘安4)年、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の3男である北条宗政の菩提を弔うために創建された。開基は宗政の子・北条師時とされるが、当時の師時は8歳であり、実際には宗政の妻(北条政村娘)と兄・北条時宗である。開山は日本人僧の南州宏海が招かれるが、宏海は尊敬する宋出身の高僧・兀庵普寧と導師の大休正念を開山にして自身は準開山になる。なお、兀庵普寧は1265(文永2)年に中国に帰国しており、浄智寺開山の7年前に没している。
 その後、高峰顕日や夢窓疎石らの名僧が住持し、最盛期には七堂伽藍を備え、塔頭も11寺院に達した。おそらくは現在の円覚寺の規模に近いものがあったと思われる。
 鎌倉幕府滅亡後も寺勢は衰えず、1356(延文元)年には火災で創建時の伽藍を失うが、室町時代には諸堂が建ち並び、塔頭も11院を擁す大きな寺院であった。上杉禅秀の乱後の1417(応永24)年に足利持氏が鎌倉に戻ったとき、まず浄智寺に入り2ヶ月以上滞在した。また、持氏の子・永寿王(後の足利成氏)が1449(宝徳元)年に鎌倉に入ったときも浄智寺に滞在している。
 しかし、15世紀半ば頃から鎌倉そのものの衰亡とともに徐々に荒廃し、江戸時代末まで塔頭8院を維持していたものの、1923(大正12)年の関東大震災でその大部分が倒壊した。現在の伽藍は概ね昭和になってから復興された。
 境内入り口にある湧き水は鎌倉十井のひとつ「甘露の井」である。上層が鐘楼を兼ねている鐘楼門をくぐったところに、本尊の木像三世仏坐像(県重文)を安置する曇華殿(仏殿)がある。左から阿弥陀,釈迦,弥勒の各如来は過去,現在,未来の時を象徴している。曇華殿後方には鎌倉三十三観音の一つ観音菩薩像が祀られている。また、柔らかい鎌倉石の山を掘った「やぐら」には石仏や石塔が安置されている。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(1966年2月28日指定)
【国 宝】
【国重文】・木造地蔵菩薩坐像(鎌倉時代後期の作,鎌倉国宝館に寄託)
       ・紙本墨書西来庵修造勧進状(鎌倉国宝館に寄託)

関連時代 鎌倉時代 南北朝時代 室町時代
関連年号 1281年 1356年 1417年・1449年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
北条宗政 H17 北条師時 H172 北条時宗 H172
南州宏海 **** 兀庵普寧 **** 大休正念 ****
高峰顕日 **** 夢窓疎石 **** 足利持氏 G334
永寿王(足利成氏) G334

 

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▲山門

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▲鐘楼門

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▲鐘楼門

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▲曇華殿

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▲木像三世仏坐像(左から阿弥陀,釈迦,弥勒如来)

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▲書院(1923年築造)

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▲横井戸

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