掛川城跡

かけがわじょうあと (Kakegawa Castle Ruins)

【C-SZ031】探訪日:2015/10/24・2016/3/26

【C-SZ031】掛川城跡 静岡県掛川市掛川1138−24

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SZ031】掛川城跡

   1473(文明5)年頃、駿河守護の今川義忠が東遠江支配のために朝比奈泰煕に掛川古城を築かせたが、1513(永正10)年、泰能のときに南西の龍頭山に掛川城を築き移った。
 1568(永禄11)年には、今川氏真が甲斐国の武田信玄と三河国の徳川家康から挟み撃ちに遭い、本拠地の駿府館を捨てて朝比奈泰朝のいる掛川城に逃げ延びた。掛川城は徳川勢に包囲されたが落ちることはなく和議が成立し、氏真と泰朝は1569(永禄12)年1月に相模国の小田原城へと退去した。その後、家康の重臣である石川家成,康通親子が入り、遠江が武田氏との攻防戦の舞台となっても1582(天正10)年に武田氏が滅亡するまで徳川氏の領有であり続けた。
 1590(天正18)年、家康の関東移封とともに掛川城には豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が入った。一豊の時代、大幅な拡張工事が行われ、石垣,瓦葺の建築物,天守など近世城郭としての体裁を整えた城郭となった。1600(慶長5)年7月25日、会津の上杉景勝討伐の際、小山評定で諸将が東軍西軍への去就に迷う中、真っ先に自らの掛川城を家康に提供する旨を発言し、豊臣恩顧の家臣衆を東軍に与させたことは有名である。関ケ原の戦い後、一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転した。なお、一豊は掛川城を偲び、高知城の天守を掛川城と同様の姿に建てさせたという。
 その後、掛川城には多くの譜代大名が入ったが、最終的には太田氏が入り、何度か城の修築も行われている。ところが、1854(安政元)年の安政東海地震で天守を含む大半の建物が倒壊した。政務所である二ノ丸御殿は1861(文久元)年までに再建されたが、天守は1994(平成6)年の再建までその姿を見ることはなかった。再建された天守は日本初の木造復元天守である。
 掛川城は本丸を中心に、西に搦手、南東に大手を開き、北に天守曲輪である天守丸、その北に竹之丸、南に松尾曲輪、西に中の丸、東に二ノ丸と三ノ丸、その南を惣構えで囲んだ梯郭式の平山城であった。現在は天守や大手門などの一部の建物,塀のほか、堀や土塁,石塁の復元が行われている。また、大手二の門(国重文)が袋井油山寺に、蕗の門が掛川円満寺に移築され現存する。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】二の丸御殿
     大手二の門(油山寺に移築)

関連時代 戦国時代 安土桃山時代 江戸時代:後期 平成時代
関連年号 1513年・1568年 1600年 1854年・1856年 1994年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
朝比奈泰煕 F433 朝比奈泰能 F433 朝比奈泰朝 F433
徳川家康 TG01 今川氏真 G361 石川家成 G393
石川康通 G393 山内一豊 F944 太田資始 G146

 

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 母が女学生の頃(太平洋戦争中)、よく訪れたという。もちろん天守は存在せず、観音像が立っていたらしい。また、城内には尼寺があり、私が生まれたときには尼さんにお世話になったと聞く(個人的な話ですが)。天守は平成時代に地元住民と企業の募金で再建された日本初の木造復元天守であり、築城当時の高知城(高知城は山内一豊が掛川城と同じ姿に築造)を参考にしているため、かなり再現性が高いと思われる。北東にある古城とともに訪れるとよい。

 

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▲大手門(再現)

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▲大手門番所(1859年再建)

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▲歴代城主

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▲三日月堀

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▲四足門(復元)

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▲十露盤堀

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▲太鼓櫓

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▲天(復)

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▲腰石垣

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▲玉石側溝

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▲霧吹き井戸

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▲三の丸から移築された太鼓櫓

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▲右の杜が掛川古城跡

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▲下は二の丸御殿

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▲報刻の大太鼓

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▲次の間

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▲御書院上の間

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▲御書院上の間

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▲小書院

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▲三の間

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▲御殿からの天守