百万遍知恩寺

ひゃくまんべんちおんじ(Hyakumanben-Chion-ji Temple)

【T-KT037】探訪日:2012/10/20

【T-KT037】百万遍知恩寺 京都府京都市左京区田中門前町103 <📲:075-781-9171>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-KT037】百万遍知恩寺

   もともと単に知恩寺と呼ばれたが、知恩院や三時知恩寺との区別のため2019(令和元)年から名称変更された。
 創建年は定かではないが、もとは皇円阿闍梨の住房比叡山功徳院の里坊で、平安時代前期に円仁が創建したと伝えられる。その所在地から、賀茂の河原屋,賀茂の禅坊,賀茂の釈迦堂と呼ばれた。法然は度々この地を訪れていたが、法然入滅後に弟子の勢観房源智が賀茂の河原屋を継いで功徳院神宮堂と改め、法然の御影を安置して法然を勧請開山第1世とした。源智はここを念仏の道場とし、源智の門流である紫野門徒の拠点として伽藍を整備し、如空のとき功徳院知恩寺と称した。
 1276(建治2)年には「赤築地の談」にて紫野門徒の知恩寺は鎮西義(鎮西流:浄土宗)の知恩院に合流した。
 1331(元弘元)年の第8世・善阿空円のとき、京都に疫病が蔓延し後醍醐天皇の勅により空円が念仏百万遍を行い疫病を収めたことから「百万遍」の号が下賜され、皇室の篤い帰依を受けて国家安穏の祈願所となった。なお、1382(弘和2/永徳2)年から足利義満の発願により相国寺が建立される際に一条小川に移された。
 1467(応仁元)年の応仁の乱で焼失したが、1479(文明11)年に本堂が再建。しかし、1508(永正5)年に大内義興と三好之長の合戦で焼失してしまう。1519(永正16)年に室町幕府により再建された。また、翌1520(永正17)年、細川高国に捕らえられた三好之長が当寺で自刃させられている。
 1523(大永3)年、知恩寺25世・慶秀と知恩院25世・存牛との間で本寺争いとなり知恩寺は敗れ、第一の座次を知恩院に譲ることとなった。1536(天文5)年には天文法華の乱で焼失する。
 1592(文禄元)年、豊臣秀吉の寺地替えにより土御門(現・梨木神社の近く)に移され、1661(寛文元)年に火事で焼失した後、翌1662(寛文2)年に第39世・光譽萬霊上人によって現在地に移転し、2年後には本堂の釈迦堂が建てられ再興された。1756(宝暦6)年、御影堂を一回り大きくし総欅造りとして再築している。また、1811(文化8)年になって、これまでなかった阿弥陀堂が初めて建立された。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】
  ・知恩寺9棟(御影堂/釈迦堂/阿弥陀堂/御廟/勢至堂/鎮守堂

         鐘楼/総門/西門)
  ・絹本著色蝦蟇鉄拐図    ・
絹本著色善導大師像
  ・絹本著色十体阿弥陀像   ・絹本著色仏涅槃図
  ・絹本著色浄土曼荼羅図

関連時代

平安時代
前期

鎌倉時代 南北朝時代 戦国時代 安土桃山時代

江戸時代
前期

江戸時代
中期

関連年号

1276年
1331年

1382年

1508年・1519年

1523年・1536年

1592年 1662年

1756年
1811年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
皇円 G332 円仁 **** 法然 ****
源智 **** 如空 **** 大内義興 OU**
三好之長 G466 慶秀 **** 存牛 MT01
光譽萬霊 ****

 

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▲総門

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▲御影堂

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▲御影堂

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▲御影堂

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▲御影堂

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▲鐘楼

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