石脇城跡

いしわきじょうあと (Ishiwaki Castle Ruins)

【C-SZ070】探訪日:2022/2/27

【C-SZ070】石脇城跡 静岡県焼津市石脇上636

【MAP】

〔駐車場所〕 特に駐車場はないため、登り口の近くに路駐されていただいた。

【C-SZ070】石脇城跡

   築城年,築城者は定かではないが、1476(文明8)年頃から1487(長享元)年にかけて伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)が在城していたとされる。盛時は駿河守護・今川義忠の正室・北川殿の兄弟であり、1476(文明8)年に義忠が遠江国塩買坂で戦死し後継争いが発生すると、義忠の子・龍王丸(今川氏親)の擁立に成功する。
 1487(長享元)年には龍王丸の政敵である小鹿範満を討って富士郡下方荘を与えられ、駿河東部へ移動したと考えられる。その際、石脇城は廃城となったと考えられるが、引き続き当城に居住したとする説もある。1491(延徳3)年以降、盛時は伊豆平定に乗り出し、やがて関東八ヶ国を治める戦国大名の北条家(後北条家)の基礎を築く。
 城は高草山の南側山裾から張り出した標高20~30mの尾根先端に築かれ、範囲は南北約220m,東西130mと考えられる。南を流れる堀川を外堀として、山頂の一の曲輪,中腹の二の曲輪,その二の曲輪を堀切で隔てた南端の外曲輪(三の曲輪)と数ヶ所の腰曲輪から成る。土塁,竪堀,虎口などの遺構が残存し、現在は曲輪跡に城山八幡宮と大日堂の堂宇が建てられている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代
関連年号 1476年・1487年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
伊勢盛時(北条早雲) H145 今川義忠 G360 今川氏親 G360
小鹿範満 ****

 

【C-SZ070】石脇城跡
 

 

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▲遠景

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▲登城口

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▲堀切(右が二の曲輪、左が三の曲輪)

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▲堀切(左が二の曲輪、右が三の曲輪)

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▲三の曲輪

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▲三の曲輪

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▲城山八幡宮

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▲城山八幡宮

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▲城山八幡宮

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▲三の曲輪

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▲三の曲輪からの眺望

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▲三の曲輪

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▲二の曲輪

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▲二の曲輪から見た一の曲輪

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▲二の曲輪

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▲二の曲輪の向こうが三の曲輪

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▲一の曲輪(大日堂)へ

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▲一の曲輪の切岸

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▲大日堂

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▲一の曲輪(大日堂)からの眺望

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▲一の曲輪

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▲一の曲輪から見下ろした二の曲輪

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▲二の曲輪下の腰曲輪

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▲腰曲輪

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