舟ヶ谷城跡(新野新城跡)

ふながやじょう(にいのしんじょう)あと (Funagaya Castle[Niino New Castle] Ruins)

【C-SZ026】探訪日:2022/4/2

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡 静岡県御前崎市新野

【MAP】

〔駐車場所〕 「舟ヶ谷の城山入口」の看板の先に駐車場があるが、道幅は狭い。

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

   築城年は定かではないが、今川系新野氏の居城とされ、尾根続きの八幡平城(新野古城)は詰城とされる。室町時代には1433(永享5)年に起きた今川範政の家督問題に新野氏が登場している。戦国時代には今川氏真により井伊谷城の井伊直親が暗殺され、子の虎松(のちの井伊直政)まで殺害されそうなところを新野左馬助親矩が虎松を匿い保護したことが知られている。しかし、1565(永禄8)年、今川氏真から離反し徳川家康に通じた曳馬城主・飯尾連龍を討つために、新野親矩が大将として曳馬城に差し向けられたが討死した(その後の飯尾連龍の死を含め諸説あり)。また、戦国時代後期の1578(天正6)年頃には八幡平城とともに武田氏によって高天神城への軍道の抑えの城として利用された可能性もある。
 舟ヶ谷城は新野川に沿って南北に伸びた標高80m,比高50mの丘陵に築かれており、現在城址には尾根に沿って連続して堀切や横堀が続くが、本曲輪,二の曲輪は1975(昭和50)年頃の採土によって消滅しており北端に北曲輪が残されているのみである。北曲輪には南尾根の竪堀と内側の土塁で虎口が設けられている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1433年 1565年・1578年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
井伊虎松(直政) F441 新野親矩 G3** 飯尾連龍 MS02

 

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡
 本曲輪,二の曲輪が消滅しているのは残念であるが、次々と現れる堀切や横堀は見応えがある。細い登山道には注意が必要だが、城域の高低差はあまりないため楽しめると思う(そもそもハイキングコースです)。

 

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

 

  

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲入口

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲1号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲1号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲2号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲2号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲3号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲4号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲4号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲4号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲本曲輪跡側を見る

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲本曲輪跡側は急斜面

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲本曲輪跡側は急斜面

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲1号横堀

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲1号横堀

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲2号横堀

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲5号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲5号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲6号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲7号堀切

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲北曲輪虎口

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲北曲輪

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲見晴台

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▲見晴台からの眺望

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▲北曲輪の段差

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲北曲輪の南東側(この先は通行不能)

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲南東側から見晴台側を見る

【C-SZ027】舟ヶ谷城跡

▲虎口方向