【Z-KC003】山内容堂生誕の地

山内容堂生誕の地

やまうちようどう せいたんのち(Birthplace of Yodo Yamauchi)

【Z-KC003】 探訪日:2019/7/21

【Z-KC003】山内容堂生誕の地 高知県高知市追手筋2丁目7−13

【MAP】

     

 

【Z-KC003】山内容堂生誕の地

 1827(文政10)年11月27日、土佐藩の分家であった南屋敷に山内豊著と側室の瀬代の長子として生まれる。幼名は輝衛、のちに豊信。生家である南邸山内家は石高1500石の分家で、連枝五家の中での序列は一番下であり、江戸ではなく高知城下で育った。しかし、藩主が立て続けに亡くなり後継候補者も病弱,幼少であったため、南屋敷で部屋住の生活を送っていた頃から英名が噂されていた豊信が後継者として指名され、15代藩主の座に就く。「容堂」とは前藩主の弟・豊範に藩主の座を譲り、隠居の身となった後、水戸藩の藤田東湖の薦めで号した。
 その政治手腕により、薩摩藩主・島津斉彬,福井藩主・松平春嶽,宇和島藩主・伊達宗城らとともに幕末の四賢候と評された。1867(慶応3)年に将軍慶喜に大政奉還を建白している。
 明治維新後は名誉職の内国事務総裁に就いたが、旧幕期は家臣や領民だったような身分の者と馴染むことができず、1869(明治2)年には辞職している。隠居生活では妾を十数人も囲い、酒と女と作詩に明け暮れる豪奢な晩年を送り、家令の諌めを聞かなかった。また、藩主時代に武市瑞山を切腹させてしまったために土佐藩内に薩長に対抗できる人物を欠いて新政府の実権を奪われたと考え、これを深く悔やんだともいう。容堂は酒のために身体を壊し、1872(明治5)年正月に中風の発作を起こして左半身不随,言語不明瞭となり、一時回復するも6月に発作が再発して昏倒し46歳の生涯を閉じた。墓所は土佐藩下屋敷があった大井公園にある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

 

【Z-KC003】山内容堂生誕の地

関連時代 江戸時代:中期
関連年号 1827年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
山内豊信(容堂) F945

 

【Z-KC003】山内容堂生誕の地
  

 

【Z-KC003】山内容堂生誕の地

 

   

【Z-KC003】山内容堂生誕の地 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

 

【Z-KC003】山内容堂生誕の地

【Z-KC003】山内容堂生誕の地

page top

▲TOPへ戻る