難波長柄豊埼宮跡

なにわのながらのとよさきのみやあと (Naniwa Nagara Toyosaki Palace Ruins] 

【P-OS002】探訪日:2015/2.25

【P-OS002】難波長柄豊埼宮跡 大阪府大阪市中央区法円坂1丁目6

【MAP】

〔駐車場所〕

   学術的には、この宮跡に建てられた難波宮(後期難波宮)と区別して前期難波宮とも呼ばれる。645年の乙巳の変後、中大兄皇子らによって企画され、652年に完成し孝徳天皇が遷都した。建物は、686(朱鳥元)年の正月に全焼するまで34年の間存続した。
 654(白雉5)年孝徳天皇崩御後、斉明天皇(皇極天皇が重祚)により飛鳥板蓋宮に遷宮されたが、744(天平16)年になって同じ場所に聖武天皇によって宮殿が築かれた(後期難波宮)。この宮は上町台地の上にあり、1913(大正2)年に陸軍の倉庫建築中に数個の重圏文,蓮華文の瓦が発見され、1953(昭和28)年には同地付近から鴟尾が発見されたのをきっかけに発掘調査が進んだ。内裏,朝堂院の構造がそれまで見られなかった大規模で画期的な物であったことから、大化の改新という改革の中心として計画的に造営された宮であるとされる。
 現在は難波宮の跡地の一部が難波宮史跡公園となり、大阪城の南に整備されている。前期,後期の遺跡を元に建物の基壇などが設置されている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 飛鳥時代 奈良時代
関連年号 645年・652年・686年 744年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
中大兄皇子 K306 孝徳天皇 K305 聖武天皇 K308

 

【P-OS002】難波長柄豊埼宮跡  
 

 

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