池田屋事件殉難烈士墓所

いけだやじけんじゅんなんれっし ぼしょ(Graves of Murasaki-Shikibu)

【K-KT025】探訪日:2012/10/20

【K-KT021】池田屋事件殉難烈士墓所 京都府京都市北区紫野西御所田町

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-KT021】池田屋事件殉難烈士墓所

   1864(元治元)年6月5日に京都三条木屋町の旅籠・池田屋に潜伏していた長州藩,土佐藩などの尊王攘夷派志士を新選組が襲撃した(池田屋事件)。
この事件での殉難者たちの墓碑が京都霊山護国神社にある。坂本龍馬の墓の後方に並ぶ。
 5月下旬、新選組が炭薪商を経営する枡屋喜右衛門(古高俊太郎)の存在を突き止め、捜索によって武器や長州藩との書簡などが発見された。6月5日早朝、古高を逮捕した新選組は拷問により長州藩の御所焼き討ち計画を自白させた(なお、自白したのは自分の本名の古高俊太郎のみという説もある)。これにより、尊攘派の浪士らが時をおかず会合を行うとみた新選組は、会津藩に報告のうえ徹底した市中探索を提案。5日夕刻、会津藩の援軍を待たず単独で三条〜四条方面の捜索を開始した。
 22時過ぎ、近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘派志士を発見し、20数名の尊攘派に対し近藤隊は4名で突入し真夜中の戦闘となった。襲撃を受けた宮部鼎蔵ら志士たちは応戦しつつ、現場からの脱出を図ったが、裏口を守っていた新撰組や応援に駆け付けた土方隊により、志士たちの多くは討死,捕縛され、逃走した志士たちも翌朝の市中掃討で捕縛された。尊攘派は、吉田稔麿,北添佶摩,宮部鼎蔵,大高又次郎,石川潤次郎,杉山松助,松田重助らの逸材が戦死した。落命した志士たちは、三条大橋東の三縁寺に運ばれて葬られたという。桂小五郎(のちの木戸孝允)は難を逃れた。また、この事件では池田屋の一般人も捕縛され、獄死,刑死している。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 江戸時代:後期
関連年号 1864年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
古高俊太郎 **** 宮部鼎蔵 ****

 

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▲前列右から2番目が古高俊太郎の墓