新美南吉生家

にいみなんきち せいか (Residence of Kumagai Clan)

【R-AC055】探訪日:2022/5/20

【R-AC055】新美南吉生家 愛知県北設楽郡豊根村上黒川字老平12

【MAP】

〔駐車場所〕

【R-AC055】新美南吉生家

   1913(大正2)年7月30日、童話『ごん狐』などの文学作家として有名な新美南吉(本名:新美正八)の生家である。戦後、人手に渡っていたが、半田市が購入し南吉が住んでいた当時の間取りに復元して1987(昭和62)年から公開している。昔の街道沿いに建ち、一見すると一階建てだが、裏にまわるとニ階建てになっている。
 南吉は畳屋を営む父・渡邊多蔵と母・りゑ(旧姓;新美)の次男として生まれる。前年に生後18日で死亡した兄の名がそのままつけられた。母が若くして亡くなると、多蔵は正八を実家に預けて再婚相手を探し、酒井志んと再婚。一方、実家の新美家ではりゑの弟が亡くなり、跡継ぎがなくなってしまった。8歳の正八は祖父の孫として新美家と養子縁組させられた。
 正八は小学校(現・半田市立岩滑小学校),中学校(現・愛知県立半田高等学校)と成績優秀で、中学では児童文学に向かうようになり、様々な雑誌に作品を投稿した。卒業直前には『赤い鳥童謡集(北原白秋編)』に感銘を受け白秋に心酔する。また、この頃にペンネーム「南吉」を使い始めた。
 中学校を卒業後、早稲田大学進学を望んだが、多蔵の許しが得られず岡崎師範学校を受験するも体格検査で不合格。小学校時代の恩師に紹介され母校の半田第二尋常小学校の代用教員として採用される。この頃から『赤い鳥』に南吉の童謡が掲載される。代用教員を退職し上京して東京師範学校を受験するも不合格となるが、友(巽聖歌)の紹介で北原白秋との対面を果たした。1932(昭和7)年、『赤い鳥』1月号に『ごん狐』が掲載される。3月、南吉は東京外国語学校英語部文科を受験し狭き門をくぐり合格。充実した学生生活を送るとともに白秋指導のもと童謡を創作、『赤い鳥』に掲載された。しかし、1933(昭和8)年4月、白秋が鈴木三重吉と大喧嘩の末『赤い鳥』と絶縁すると、南吉もこれに従い『赤い鳥』への投稿をやめる。翌年2月25日、結核のため喀血。実家に帰り1ヶ月あまり療養したのち、4月に学校に戻った。
 東京外国語学校を卒業し就職するが、1936(昭和11)年10月、二度目の喀血で倒れ1ヶ月寝たきりの生活になる。小康状態となった南吉は帰郷し療養生活を送る。その後、河和第一尋常高等小学校の代用教員,杉治商会鴉根山畜禽研究所,安城高等女学校教員と職を変え、女学校教員時代には交際相手(中山ちゑ)の突然の死に落胆する。
 1940(昭和15)年、この年は作品が次々雑誌に載る。年末、学習社から良寛の伝記の依頼を受けるが、執筆後から体調が悪化し死を覚悟するようになる。1942(昭和17)年1月、病院で腎臓炎と診断される。3月末から5月末までの2ヶ月の間に『ごんごろ鐘』『おぢいさんのランプ』『花の木村と盗人たち』『牛をつないだ椿の木』など童話を次々書き上げる。12月からは喉が痛み、声も出にくくなり、1943(昭和18)年年明けからは女学校を長期欠勤し2月10日には安城女学校を退職。退職後は咽頭結核のためほとんど寝たきりになる。3月22日午前8時15分、死去。29歳8ヶ月の生涯だった。半田市柊町の北谷墓地に葬られた。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 大正時代
関連年号 1913年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
新美南吉(正八) ****

 

【R-AC055】新美南吉生家  
 

 

【R-AC055】新美南吉生家

新美南吉(正八)

ごん狐』あらすじ

物語は村の茂平からの伝聞という形式になっている。両親のいない小狐ごんは、村へ出てきては悪戯ばかりして村人を困らせていた。ある日、ごんは兵十が川で魚を捕っているのを見つけ、兵十が捕った魚やウナギを逃がすという悪戯をしてしまう。それから10日ほど後、兵十の母親の葬列を見たごんは、あのとき逃がしたウナギは兵十が病気の母親のために用意していたものだと悟り後悔する。
母を失った兵十に同情したごんは、ウナギを逃がした償いのつもりで、鰯を盗んで兵十の家に投げ込むも、翌日に鰯屋に泥棒と間違われて兵十が殴られていたことを知り、ごんは反省する。それからごんは自分の力で償いをはじめる。しかし兵十は毎日届けられる栗や松茸の意味が判らず、知り合いの加助の助言で神様のおかげだと思い込むようになってしまう。それを聞いてごんは割に合わないとぼやきながらも届け物を続ける。
その翌日、ごんが家に忍び込んだ気配に気づいた兵十は、また悪戯をしに来たのかと思い、戸口を出ようとするごんを火縄銃で撃ってしまう。兵十がごんに駆け寄ると土間に、栗が固めて置いてあったのが目に留まり、はじめて、栗や松茸がごんの侘びだったことに気づく。兵十の手から火縄銃が落ち、筒口から青い煙が出ているところで物語は幕を閉じる。

 

【R-AC055】新美南吉生家 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

【R-AC055】新美南吉生家

【R-AC055】新美南吉生家

【R-AC055】新美南吉生家

【R-AC055】新美南吉生家

【R-AC055】新美南吉生家

【R-AC055】新美南吉生家

【R-AC055】新美南吉生家

【R-AC055】新美南吉生家

【R-AC055】新美南吉生家