興ヶ原城跡

おくがはらじょうあと Okugahara Castle Ruins)

【C-NR022】探訪日:2022/6/8

【C-NR022】興ヶ原城跡 奈良県奈良市興ヶ原町471

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年は定かではないが、嵯峨源氏渡辺党の末孫の興ヶ原氏が永享年間(1429~40年)に伊賀の名張からこの地に土着し築いたとされる。天文,永禄(1532~69年)の頃には興ヶ原遠江守助豊,その子若狭守助秀が豊臣秀長に仕えて千石余りを領した。助秀の妹は柳生但馬守宗厳に嫁して春桃御前と呼ばれ、柳生宗矩はじめ5男4女を産んだ。また、助秀の子・助勝は豊臣秀頼に仕え大阪の陣では善戦したが大坂城落城とともに浪人となり、柳生十兵衛三厳の代に至って柳生家に仕えた。その後も子孫代々柳生家に仕え十五石を給せられ、江戸末期に大河原へ転住した。
 城は興ヶ原集落の北に迫る丘陵上に位置し、方形単郭の城郭で主郭の北に尾根を切る大小2本の堀切と土塁があり、主郭南,西側には帯曲輪と思われる平坦部がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1429~40年 1532~69年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
興ヶ原助豊 G0** 興ヶ原助秀 G0** 春桃御前 G0**
柳生宗厳 YG02 興ヶ原助勝 G0**

 

【C-NR022】興ヶ原城跡
 他のネット情報では南から主郭へ登る道があるようだが、今回は城跡の西側を廻り込んで北の尾根側から下ったため、最初に堀切に出た。高土塁を越えて主郭へ入ると、材木が所狭しと転がっておりひじょうに歩きづらい。戻りも西側斜面を伐採された木材を跨ぎながら直降りした。

 

【C-NR022】興ヶ原城跡

 

   

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【C-NR022】興ヶ原城跡

▲南からの全景

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▲民家の左の道を入る

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▲右へ進む

【C-NR022】興ヶ原城跡

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▲堀切

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▲堀切

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▲堀切

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▲堀切

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▲堀切

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▲竪堀状に落ちている

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▲主郭

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▲主郭

【C-NR022】興ヶ原城跡

▲主郭南の土塁

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▲主郭南の土塁

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▲帯曲輪

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▲帯曲輪から見上げる

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▲主郭の北を見る

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▲北の土塁

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▲土塁

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▲土塁の上